2010年12月05日

お父さんの一久くん

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森本一房くんのお父さんは加藤清正の家来で加藤家十六将のひとりだった。
また加藤家三傑のひとりでもあった。
三傑とは、森本一久、飯田(覚兵衛)直影、庄林(隼人佐)一心の三人である。
一久は飯田直影とともに清正の竹馬の友で、中途入社の庄林一心とともに
3000石以上の家臣に名を連ねている。
一房くんのお兄ちゃんの一友くんと一房くんも
兄弟で清正に仕え、500石以上もらっていた。

加藤清正ははじめ豊臣秀吉に170石の小姓として仕え
関ヶ原の戦い前には19万5千石の大名だったが
最終的には54万石にまで成り上がる(52万石ともいう)
その清正の幼なじみで早くから家来になり
頭角をあらわしていた森本一久と飯田直影の棒給はというと
朝鮮出兵の手柄で飯田直影は3000石をもらったとある。
Wikiによると6500石でその後1万500石になっている。
当時の収入は殿さまの出世や自分の手柄で変化したが
この1万500石は清正亡き後のことだろうと思う。
清正の後継として11才で藩主となった忠広を支えたのが
飯田直影だったのだ。
さて、その飯田直影が6500石のころ、森本一久は5126石と思われる。
加藤家侍帳に森本義太夫という名前があって
これが一久くんのことだと思われるからだ。
庄林一心は同じ加藤家侍帳に1382石と記載されている。

一友&一房の兄弟はお父さんが高給取りだった上に
自分らも数百石を稼いでいる。なかなかだ。
けっこう贅沢もできた気がする。

さて、生まれ育った次男の一房くんの
波乱のような、そうでもないような人生は
これからはじまる。



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2010年11月28日

森の三日月の物語

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昔、唐(618年−907年)の天台山の地主神が
日本の英彦山(福岡県)に水晶になって天下った。
5年後には伊予(愛媛県)の石鎚山、6年後には淡路国の遊鶴羽山、
また6年後には紀伊国の切部山の松の木に移った。

それから57年たって、水晶は熊野の神倉山に降臨した。
さらに61年後、石淵谷にお移し申し上げたときに
はじめて神の名をあらわした。
それは「結玉家津美御子」といった。
「ムスビ」「タマ」「ケツミミコ」は
「ムスビ」と「タマ」が一対だったので「ケツミミコ」と合わせて
ふたつの社に祀られていた。

それから13年後
神は熊野川の中州、大斎原(おおゆのはら)の森の三本のイチイの木に
3つの月形となって天下った。
ここで神ははじめて三体になる。

さらに八年がたって
ある日、イノシシを追う狩人が木にぶらさがった三日月を発見し
不審に思って問いかけたところ
ひとつは証誠権現、のこりふたつは両所権現と名乗った。
猟師はすっかり恐れ畏まって、3つの月にために仮宮をつくって祀った。

この話は神仏習合がさかんだった時代の、つまり平安時代の
熊野本宮大社の発祥の物語だ。
熊野本宮大社の創建は崇神天皇の時代といわれ
それを信じるならば紀元前ということになるのだが
この三日月の物語は「唐の天台山」という出だしが困ったものだ。
700年くらい時代がズレている。
熊野の神々には諸説ありすぎるくらいあるので
ときにはこんなノドカな物語を紐解くのもいい。

ところで、
熊野には旧暦の11月23日には月が三体になって見えるという
伝承があり
二十三夜の月待ちの行事がいまも行なわれている。
三体の月はおそらく「幻月」という現象で
空気中に氷の結晶が生じ、そこを通過する光の屈折で
月の両側に幻の月があらわれるそうだ。

旧暦の11月23日といえば
今年でいうならば12月28日にあたる。
しかも月の出は夜中過ぎになる。
空気も凍る寒さだろうと思う。



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2010年11月24日

ヤマトタケルの熊野神社

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長野県と群馬県の県境に熊野皇大神社があり
創建はヤマトタケルといわれている。
まあ、そういうことにしておくと
この県境の熊野神社ができたのは二世紀のはじめの頃で
これは全国に数ある熊野神社のなかでも
最古の部類ではないかと思う。

ここに祀られているのは、イザナミと事解之男(コトサカノオ)と
速玉男(ハヤタマオ)である。
こちらの速玉男はスサノオという伝承がある。

さて、ここで気になるのは
熊野では熊野三神の影に隠れて実に目立っていない事解之男が
こちらの熊野神社では三神のひとりとして
堂々と姿をあらわしていることだ。

事解之男(コトサカノオ)は、日本書紀によると
黄泉の国で生まれた。
イザナギがイザナミを追って黄泉の国へ行ったときで
ざっとこんな状況である。

 「おまえのことを悲しんでここに来たのだ」
  「私のことを見ないでください」
   (イザナギはなおもしげしげとイザナミの変わり果てた姿を見る)
  「あなたは私の真実を見てしまった。私もあなたの真実を見ます」
   (イザナギは己の真実を恥じて帰ろうとするが、その前にひと言いう)
 「もう我々は別れることにしよう。恨まれても負けないぞ」

イザナギの身勝手さはさておくとして
このときイザナギが唾を吐いて生まれたのが速玉男(ハヤタマオ)
それを掃うときに生まれたのが事解之男だという。
唾を吐いて掃う(祓う)のが別れの儀式だったのかどうか知らないが
唾は自分の分身であり、その分身を祓うことによって
黄泉の国との関係を断ったということだろうか。
速玉男も事解之男(コトサカノオ)も黄泉の穢れを浄化する神と
考えられている。

さて、長野と群馬の県境の熊野皇大神社に坐します事解之男は
この事解之男と同一神なのだろうか。
そうではないという説がある。

この世にはさまざま面倒な書物が存在するが
歴代の天皇がああしたこうしたというのをまとめた
「帝王編年記」には、崇神天皇がニギハヤヒを祭るときに
事解之男という別名にしたと書いてあるらしいのだ。
「帝王編年記」は室町初期の成立なので、著者はもちろんのこと
崇神天皇の支配する紀元前の日本列島のことなど知るよしもない。
ただ、そういった伝承があったのだろうと思う。
しかし、そうなると熊野神社の事解之男は黄泉で生まれた神ではなく
ニギハヤヒの別名であり
ニギハヤヒにはオオクニヌシの息子説、スサノオの息子説など
楽しく興味深いさまざまな説があるし
さらに神武天皇以前の王権の存在もニギハヤヒから見えてくる。

祭神を「イザナミ」「速玉之男(スサノオ)」
「事解之男(ニギハヤヒ)」とする熊野神社は日本各地に残るが、
いずれも古い神社であり

熊野考をますます楽しいものにしてくれている。



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2010年11月18日

陰の神の集うところ

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日本の神話には陰の神々と陽の神々がいる。
高天原系の神々は陽の神だが
陰のはじまりは死んで根の国へ行ってしまったイザナミだ。
根の国へ追放されたスサノオも陰神の代表格といえそうだ。
国土開発の揚げ句に国譲りなどと称して
国を取り上げられて滅ぼされたオオクニヌシの一族も陰神である。

熊野の神々は後世になって
イザナギやイザナミ、スサノオ、オオクニヌシと
いわれるようになった。
「タマ」がイザナギ、「ムスビ」がイザナギ、「ケ」が
スサノオで、熊野那智大社に坐しますオオナムチが
オオクニヌシという伝承である。「タマ」がスサノオという場合もある。
簡単にまとめるとこんな風になる(★印が主祭神とされる神)

熊野本宮大社
 西御前「ムスビ」熊野夫須美大神・事解之男神(ニギハヤヒとも?)
 中御前「タマ」熊野速玉之男大神・伊邪那岐大神
 證証殿 ★「ケ」家都美御子大神
 若宮 天照皇太大神(アマテラスのことだが、一説ではニギハヤヒ)

熊野那智大社
 滝宮 オオナムチ(オオモノヌシまたはオオオクニヌシ)
 證証殿 「ケ」家都御子神・国常立尊
 中御前 「タマ」御子速玉之神
 西御前 ★「ムスビ」熊野夫須美大神・事解之男神
 若宮 天照大神(アマテラスのことだが、一説ではニギハヤヒ)
 別宮 飛瀧神社 オオナムチ

熊野速玉大社
 結宮 ★「ムスビ」熊野夫須美大神
 速玉宮 ★「タマ」熊野速玉大神
 証誠殿  「ケ」家津美御子大神・国常立尊
 若宮  天照皇太大神(アマテラスのことだが、一説ではニギハヤヒ)
(神倉宮) 高倉下命

中世の伝承にしたがうと「タマ」をイザナギ、「ムスビ」をイザナギ
「ケ」がスサノオになり黄泉の国トリオが揃う。
さらに那智にはオオモノヌシ(オオクニヌシ)もいるし
アマテラスは実は太陽神の天照大神のことではなく
天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊のことだとの説がある。
つまり、ニギハヤヒである。
天孫降臨以前に天鳥船に乗って近畿に下った神であり
滅亡した物部氏の始祖神ともいわれている。
さらに事解之男(コトサカノオ)もいる。
コトサカノオは日本書紀によると黄泉の国で生まれた神だが
熊野のコトサカノオはニギハヤヒの別名だともいわれるので
さらにややこしい。

古事記や日本書紀が編纂された時代から
神々の系譜や歴史は支配者に都合よく書き換えられ、
国家による管理がしやすくなっていった。
支配者による土地の神の乗っ取り、名前のつけ変えなどは
当然あっただろうし
神を祀る側としては、なんとか朝廷にバレないように
神さまの名前をわかりにくくしておこうというようなことも
あったと思う。

しかし、それにしても
熊野に集うのは根の国、黄泉の国と縁が深い神々だ。
熊野は根の国、黄泉の国、一筋縄ではいかない。



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2010年11月15日

妖しき文豪怪談

今年の8月、NHK BSで放映された「妖しき文豪怪談」が
昨日、つまり11月13日に再放送されるを知らずにうかうかとしていた。
よもやと思って動画サイトをさがしてみたら韓国の動画サイトで発見。

たとえば、川端康成「片腕」ならここです。
http://www.mgoon.com/view.htm?id=4091660

川端康成「片腕」 監督:落合正幸 出演:平田満
太宰治「葉桜と魔笛」 監督;塚本晋也 出演:河合青葉
芥川龍之介「鼻」 監督:李相日 出演:松重豊
室生犀星「後の日」 監督:是枝裕和 出演:加瀬亮

公式サイト:http://www.nhk.or.jp/bungokaidan/
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2010年11月10日

奈良だって紅葉がキレイ



2年前の今日(11月10日)、奈良県天川村の紅葉です。





こちらは去年の11月1日、同じく天川村。

タグ:奈良 紅葉
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2010年11月07日

ハヤタマとムスビ

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熊野三神は熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家都美御子大神である。
それぞれ「クマノハヤタマノオオカミ」「クマノムスビノオオカミ」
「ケツミミコノオオカミ」と読む。

クマノムスビは「ムスビ」だから生産、生成の力と思われる。
世界創造であり、無から有を生じさせるパワーである。
一方ハヤタマの「タマ」は魂であり、神霊である。
「ハヤ」は「映えわたる」と考えればよいのではないか。
スサノオの別名にハヤスサノオがあるが
スサノオには「荒ぶる」の意があるので
非常にラフないいかたをすると、「メチャメチャ乱暴」の
「メチャメチャ」が「ハヤ」だ。
古い朝鮮語に由来を求めると、ハヤは石、タマは王。
やっぱり強そうだ。
タマとムスビの二柱の神はもともとは一対だったという。
神さま本体(タマ)とその生成のパワー(ムスビ)という
組み合わせがタマ&ムスビだったのかもしれない。

ところで、いつかは知らないが
熊野速玉大神(ハヤタマ)をイザナギ、あるいはスサノオ
熊野夫須美大神(ムスビ)をイザナミであるというようになった。
これはもともと日本神話に出て来るイザナギとイザナミを祀ったと
単純に考えるべきではなく
熊野という世界の始祖神と考えるべきと思う。

ところで、家都美御子大神(ケツミミコ)だが
もともとはこの神の名はあきらかではなく
単に熊野坐大神という名で呼ばれていた。それは
熊野においでになる大いなる神という意味で、特定の名前ではない。
もともと神と呼ばれるものはチカラでありエネルギーであって
「白い着物を着たおじいさん」や「袋を背負った人」ではなく
「山田太郎」というような固有名詞は存在しない。
名前をつけて気安く呼ぶにはあまりに強大で恐れ多いからだ。
ハヤタマもムスビも固有名詞ではない。
強いていえばチカラの方向性を象徴するコトバだ。
ケツミミコという名前は固有名詞らしく聞こえるが
「ケ」が「食(ケ)」の意味だとすると食物の神で
あとは尊称やら美称だろう。
そもそも熊野坐大神がケツミミコという名で呼ばれるようになったのは
少なくとも9世紀以降のことだった。
伊勢神宮にアマテラスとトヨウケ(食物神)がいるように
熊野にも食の神が必要だと思ったのだろうかもしれないが
もともと熊野坐大神という正体の片鱗もわからない
恐ろしそうなこの神を食物神にしてしまうのは
無理があるような気がする。
この神はスサノオだとされることもあるが
そのくらい荒ぶる強大な神だったのだろう。

熊野の神々はなかなかその正体を明かさない。
人が神に名前をつけ正体を記すことはある種の管理だが
熊野の神々は神話を捏造し神社を統合してきたかつての支配者たちの
手に余るものがあったのかもしれない。


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2010年11月02日

京都の紅葉はやはり11月から



京都の紅葉はやはり11月にならないと。
春の夜桜もいいですが、夜の紅葉もなかなかのものです。


タグ:京都 紅葉
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2010年10月31日

神武天皇の熊野上陸

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神武天皇の熊野上陸


なにしろ神代の時代ということで
人も神も、それから名づけようのないあやしいものまで
日本列島に跋扈していたことになっている。

神武天皇は列島の中央に陣取ってこの国全体の支配者になるべく
日向(宮崎県)の高千穂から東に軍をすすめていた。
あちらこちらでかなり長い寄り道などあったが
とにかくも瀬戸内海から大阪湾に出て淀川をさかのぼり
大和へ向おうとした。
ところが、ナガスネヒコの抵抗に遭い敗退してしまう。

それから神武は紀伊半島を南下し熊野に上陸、
そこから北上して大和をめざすことにした。
淀川コースが表玄関だとすると、熊野は裏である。
城でいえば搦手に当たる。
搦手は険阻な山を背負うなどして出入りをむづかしくするものだが
熊野がまさしくそうだった。どこまでも山がつづいている。
険しい道もあれば薮を掻き分けてやっと進む道もあった。
八咫烏が案内をしたということになっているから
山中に熊やイノシシを追う狩人が山越えを案内したのかもしれない。
しかし、神武は熊野を征服して進んだのではなかった。
神武は熊野をただ通過しただけであり
おそらく、なるべく戦わないように通過したのであり
神武が大和を帰順させた後も
熊野は未征服の地、あるいは未開の地として日本史に残りつづけた。



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2010年10月25日

聖なる右手と不浄の左手

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インドでは右手が聖なるものとされる。
食事のときは当然ながら右手のみを使う。
グローバルな人々はナイフとフォークを両手で操ることに
なじまざるを得ないとはいえ
左手で誰かにものを渡したりするのは失礼なことであるらしい。
左手はトイレで使う手であり、不浄な手だからだ。

さて、そのインドでも右手と左手を合わせて合掌をする。
これはなぜだろう。

右手は聖なる手で神々を象徴する。
不浄な左手は自分自身の象徴である。
その右手と左手を合わせる行為は自分と神との合一といえるのだ。



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2010年10月22日

おおきに

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「おおきに」は西の言葉だ。
「おおきに」によってその後につづく言葉が省略されるし
また省略してもよいことになっている。
「おおきに」という言葉に馴染んでいる人は
そのときどきで言外の意味をさとってしまうので
最後まで口にするのは野暮で恥ずかしいのだが
馴染みのない人にとってはハンパな上に魑魅魍魎の言葉だともいえる。
おおきに=ありがとうだと思っている人もいれば
おおきに=すみませんと思う人もいる。
また、「おおきにお世話な」といえば、これは感謝ではなく
余計なお世話という意味になるので油断がならない。

オホキニやオホキナルは大きさや偉大さをあらわす古い言葉で
源氏物語に「年のほどよりオホキニ大人しう清らかに」とあるのは
年齢よりは大きくと解釈してよかろうし
「皆オホキニ歓喜し」は大いに喜んだという意味だろう。

「おおきに」に馴染みのない人はその意味を確定したがるけれど
「おおきに」は放っておくのがいい。
オホキニは数として数えられない量の多さを意味するだけで
その真の意味はその言葉を発する人の態度や
その言葉が発されたときの状況のなかに潜んでいるのだ。



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2010年10月20日

大台ケ原の紅葉ははじまっている



大台ケ原は奈良県の吉野熊野国立公園のなかにある。
特別保護区である。
日本100名山のひとつであり、日本の秘境100選にも数えられている。
山なのになぜ「原」かというと頂上が平坦だからだ。
平坦といっても低いわけではなく、標高は1695メートルある。

この山の紅葉は早い。
西大台は入山規制が実施されているために
事前の申し込みが必要だが
紅葉のシーズンは通常の倍の人数(それでも100人)の入山が許可される。
東大台は立ち入り自由になっている。
また、ふもとには小処温泉があり
こちらでは11月13日に紅葉祭が開催される。


大台ケ原のある上北山村HP:http://vill.kamikitayama.nara.jp/


大台ケ原の紅葉の動画。立ち枯れの木々は1959年の伊勢湾台風の破壊のあと。
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2010年10月19日

紅葉だより



日光、そろそろこんな紅葉になる頃です。


タグ:紅葉 日光
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2010年10月17日

朱鷺はいま

写真素材 PIXTA
(c) アイアンホース写真素材 PIXTA



◉9月中に確認されたトキ(9月末現在)
 佐渡15羽 (オス8、メス7)
 本州2羽 (メス2) 計17羽

◉死亡、行方不明
・一ヶ月以上未確認 4羽
・半年以上未確認 5羽
・死亡及び1年以上未確認 3羽
・捕獲 1羽(2009年放鳥直後)

◉トキのいる地域
佐渡/新穂、両津、金井、羽茂、相川
新潟県/新潟市
富山県/黒部市

今年も11月1日に14羽のトキが放たれる。

タグ:朱鷺
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2010年10月15日

「かたじけない」は古い、「ありがたい」は新しい

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「かたじけない」は古い、「ありがたい」は新しい


お礼の言葉はそもそも神仏に対して用いられた言葉が
人に対しても使われるようになったもので
「ありがたい」は江戸時代の初期から芝居などで使用例が見られ
それ以前は「かたじけない」がもっぱらであったらしい。
また地域によっても違っており
「ありがたい」が広まったのは江戸、
上方(関西)では江戸後期になっても「かたじけない」が使われていた。

上方は婉曲表現が強いため
やがて「ありがとう」でも「かたじけない」でもない言葉が発生する。
重ね重ねの意味を持つ「だんだん」や、大いにの意味の「おおきに」だ。
(「おおきに」については別に述べたい)
「だんだんありがとう」のありがとうがとれて「だんだん」に
「おおきにありがとう」が「おおきに」になっていくのは
直接的な表現を恥じる西の文化らしいといえる。
実のところ、かたじけないとありがたいは微妙に意味が違うのだが
「だんだん」と「おおきに」だけならば
その言葉を受け取る人が都合よく考えてくれれば済む。

ところで、長野県の方言に
「おかたしけ」「おかたしけない」というのがある。

むづかしい語源の話を引っ張り出してみたら
カ=行為を
タ=為すべく
シ=取り組んでくれたので
ケ=良い変化がありました
というようなことらしい。
つまり、あなたは私を助けてくれましたという言葉が
「カタシケ」であり
それがお礼の意味を持ち、「お」やら「ない」がひっついた
ということらしいのだ。

ありがとうひとつをとってもややこしい。



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2010年10月11日

ありがとうの語源

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お釈迦さまの語録を集めたような法句経に
こんな言葉があります。

人の生を受くるは難く
やがて死すべきものの
いま命あるは有り難し

ひらたく意味を考えてみると

この世に何億も存在する生物のなかで
人間として生を受けるのはむづかしく、
また奇跡に近い希有なことだ。
やがて死ぬべきその命が
いまこうして生かされていることは
あり得ないほど神秘的な出来事なのだ。

この「有り難し」が、ありがとうの語源です。
あり得ないほどの不思議な出来事に感謝の念をあらわす言葉が
「ありがとう」です。

生まれて来たことに
そして、いま生きていることに
まず「ありがとう」




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2010年10月04日

金魚の産地、郡山

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日本でもっとも歴史のある金魚の産地は
奈良県の大和郡山で
これは1724年の柳沢吉里の入国に端を発する。
吉里は柳沢吉保の嫡男で、甲府藩の藩主だったが
後に大和郡山藩に移った。

さて、この柳沢吉里の家臣に横田又兵衛という人がおり
又兵衛が金魚を連れてきたのが
大和郡山の金魚のはじまりだったというのだが
15万石の殿さまと家臣団が東海道と中山道に別れて
10泊から13泊の大移動をしたときに
金魚はどんな方法で運ばれたのかが判然としない。

ともかく、こうして金魚は大和郡山にやってきた。
大和郡山は良質の地下水に恵まれていたために
金魚の飼育に適し、やがてそれは武士の内職として定着する。

大和郡山が全国に出荷するほどの金魚の産地になったのは
やはり明治になってからで、
失業した武士が最後の藩主柳沢吉申の援助を受け、
地元の農民らと協力して養殖をはじめたからだ。
現在、大和郡山は全国の金魚のシェアの40%を生産している。



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2010年09月19日

金魚の巨匠

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マティスの名画として知られるなかに
金魚の絵がある。
明るい花と緑に囲まれたピンクのテーブルの上に
水槽が置かれ、金魚が泳いでいる。

マティスは1911年頃から金魚を描きはじめている。
金魚をモチーフにしたマティスの絵は11点が判明しており
金魚を描いていたころのマティスは
画商から「金魚の巨匠」と呼ばれていた。

1911年、マティスはモロッコに旅をしている。
「モロッコのカフェ」という作品にも金魚が描かれているが
色彩を重要な要素とするマティスの絵画にとって
金魚は赤という魅力的な色であると同時に
オリエントの象徴でもあったようだ。




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タグ:金魚
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2010年09月16日

運動靴と赤い金魚



マジット・マジディ監督のイラン映画「運動靴と赤い金魚」は
妹の運動靴をなくしてしまった少年が
賞品の運動靴が欲しくて3等になるためにマラソンに出場する。
激戦で数人が一度にゴールになだれ込んだため
少年は気がつくと無念の1等。
期待して家で待っていた妹に、しょんぼりと首を振り
マメだらけの足を池で冷やすと、池には赤い金魚がいる。
実はこの映画で金魚はラストに近いこのシーンまで登場しない。
はじめはどこに金魚がいるのだろうと気にしながら映画を見るのだが、
面白くてつい金魚のことを忘れてしまい、
最後に金魚が出てきたのを見て、そういえばとタイトルを思い出すしくみで
そうか金魚だったと納得するのだけれど
さて、この映画の冒頭に表示されるアラビア語の原題は
何と書いてあるのだろうか。
ちなみに英語版のタイトルは「Children of Heaven」である。
タグ:金魚
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2010年09月08日

舞姫20分



森鴎外の「舞姫」は小説としてはさほど長くない。
せいぜい中編といったところだが
1989年に篠田正浩監督で映画化された「舞姫」は120分を超える。
この映画がyoutubeで10分×2に編集され、掲載されている。
これで十分話はわかる。

なるほど。
タグ:舞姫
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