2010年05月01日

もの言わぬ皇子と蛇体の姫

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垂仁天皇の皇子ホムチワケは少しわけのある出生をした皇子です。
皇后の兄サホヒコが謀反をたくらみ、
皇后は兄弟の絆に曳かれて兄の砦に逃げ込みます。
そのとき皇后は妊娠しており、戦いの最中にホムチワケを生みました。
サホヒコの反乱は鎮圧せられ、
皇后は燃える火のなかに飛び込んで亡くなります。

生まれ落ちたとたんに母がこんな死にかたをしたホムチワケは
唖の皇子でした。成人してもしゃべることができません。
そんなとき、ホムチワケは空高く飛ぶ白鳥を見て
「あれは」と初めて言葉を発しました。
喜んだ天皇は白鳥を追わせます。
古事記によると、紀伊、播磨、因幡、丹波、但馬、近江、
美濃、信濃から越の国まで
めぐりめぐってやっと白鳥を捕まえますが
それでもホムチワケはしゃべることがありませんでした。

そんなとき、天皇は夢でお告げをききます。
「我が宮を天皇の宮のごとく造れ」
その神が出雲の神であることを知り、ホムチワケの失語症も
出雲の神の祟りだと知った天皇は
ホムチワケを出雲に派遣しました。

さて、出雲を参拝したホムチワケは
出雲の国造に食事を接待されたとき、はじめて言葉を発します。

その晩、ホムチワケはヒナガヒメと共寝をします。
ヒナガヒメは斐伊川の姫の意味なのでしょうけれど
その姫が寝入ったところを覗いてみると蛇体、
つまり大きな蛇だったのです。
驚いたホムチワケは姫を置去りにして大和に逃げ戻ります。

この神話にはさまざまな暗示があります。
鳥霊信仰、白鳥伝説、大和王朝と実は敵対していた出雲族、
実は万世一系ではない日本の王朝の交代劇。
それらの物語の締めくくりが「みてはいけない」になっているのも
また興味深いと思われるのです。



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2010年04月25日

琉球の女の秘密の信仰

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いまでも同じことが行われていいるのかどうかは知らないが
戦前くらいまでの沖縄の島々では
嫁入りのときに香炉を持って行く習慣があったという。
香炉は神の象徴である。
それが何の神か定かではない。祖先神でも村の神でもない。
ただ母から娘に順繰りに伝えられてきた神だというばかりである。

その香炉は夫も息子も拝むことはできない。
女だけの秘密の神であり、男はその信仰をうかがい知ることもできない。
神話ではない現実の「見てはいけない」が存在したのである。

習慣や信仰の異なる部族の女を娶ったとき
その家には異なる生活様式が持ち込まれることになる。
妻の信仰が夫と異なるとき
「見てはいけない」は妻の信仰の秘密を尊重することであり
その尊重が継続している間は問題なく夫婦仲も続いたであろうと思われる。
見てはいけない約束が破られたときの結果は
いまさら言うまでもなく、神話や物語で語られている。



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2010年04月18日

「見てはいけない」からはじまった日本

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古事記と日本書紀に記述されている歴史が
神の歴史から人の歴史に切り替わるのは
初代天皇の神武からだ。
神武は異種婚姻から誕生する。
それを伝えるのはおとぎ話として知られる海幸彦と山幸彦の物語で
山幸彦のホオリノミコトは兄の海幸彦(ホデリノミコト)の
釣り針を借りてなくしてしまったために海神ワタツミの宮殿に行く。
そこで山幸彦はワタツミの娘トヨタマ姫と結婚し
兄の釣り針も見つけることができる。

この物語はさまざまなことを伝えている。
まず、山の民と海の民の対立である。
それから山幸彦が釣り針を持ち帰って兄に返すときに
海神に教えられた呪いをかけたことによって
兄の海幸彦は貧しくなり、ついに戦いが起こる。
このとき山幸彦は海神にもらった宝珠で洪水を起こして勝利するのだが、
ここに洪水伝説も見ることができる。
それから山幸彦と海神の娘トヨタマ姫との異種婚姻である。

この異種婚姻は山幸彦が、見てはいけないトヨタマ姫の出産を
のぞき見たことによって壊れてしまう。
トヨタマ姫はワニの姿になって子供を生むところを見られて
海の宮殿に去ってしまうのだ。
このとき生まれたウガヤフキアエズノミコトを養育するために
トヨタマ姫は妹のタマヨリ姫を地上に送り出す。
そして、ウガヤフキアエズノミコトは後に叔母のタマヨリ姫と結婚し
日本の初代天皇である神武が誕生する。

この山の民の象徴であろう山幸彦と海神の結びつきによって
当時の日本の、おそらく九州の一部の地域に新しい権力が生まれる。

このとき海幸彦は山幸彦に敗北して臣下にくだり、
その子孫は隼人として代々の天皇に仕えることになったとされる。
なお、薩摩と大隅に居住していた日本原住民である実際の隼人は
他とは異なる言語や風俗を持ち
耕作に適しない火山灰の土地に住んだために農耕をせず
狩猟と漁業を生業にしていた。
新勢力のヤマト王権(と、仮に呼ぶのだが)が九州を侵略したとき
クマソが比較的早い時期に恭順し
このクマソを利用してヤマト王権は隼人に対抗したとみられている。
隼人はヤマト王権の支配下に置かれた後も
しばしば反乱を起こしている。




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タグ:異種婚姻
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2010年04月09日

ナイルの向こうにアジアがあった

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古代ローマの道路整備は紀元前300年ころからはじまり
ローマ帝国の最盛期(最大版図期)の紀元2世紀には
29万kmに及ぶ道路網が帝国全域に広がっていた。
「すべての道はローマに通ず」とローマ人が威張るのも当然だった。
シルクロードの草原の道、オアシスの道、
それから海のシルクロードが発達して
東西の交易がさかんになったのもこの頃だといわれる。

もちろん、海のシルクロードそのものの歴史はもっと古い。
紀元1世紀には紅海からペルシャ湾、アラビア海、ベンガル湾にかけて
金銀銅、真珠に象牙、香料や綿布が
海上輸送によってさかんに流通している記録が残っているし
古代エチオピアに栄えたアクスム王国が
インドとローマを結ぶルートで国を挙げて交易をしていたのは
紀元前5世紀から紀元1世紀にかけてだった。

その海のシルクロードで重要なのがナイルである。
ナイルは地中海と紅海を結ぶ運河の役割を果たしていた。
地中海からナイルを遡ってテーベ(ルクソール)の都へ、
そこから荷物をラクダに積み替えて数日で紅海へ出る。
そこからは、果てしないインド洋だった。
インド洋では夏の季節風をヒッパルスの風と呼び
船を遠い東の国へと連れて行った。

舟は大量の荷物を運ぶ。
陸の道は戦争で閉ざされることもあるが海の道はいつでも開けていた。
海の道を行く人々は、ナイルの向こうにアジアを見ていたのだ。




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タグ:ナイル 帆船
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2010年04月04日

ヌビア

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ヌビアはエジプト南部からスーダンにかけての地方の呼称であり
またその地方に住む民族を指す。
ヌビア人はエジプト人と共通の祖先を持つが
古代よりギリシア・ローマ人が移住し、混血が進んだエジプトよりも
原エジプト人に近いと思われる。

ヌビアは古代には独立した王国であり、金銀銅などの鉱物を産した。
一時期はナイルの支配者でもあった。
北のエジプトとは相互に干渉し合っていた。
つまり、交流もあったが、侵略されたり侵略したりの関係もあり
また縁戚関係を結ぶこともあった。
ツタンカーメン王の祖母はヌビア人との混血だったという説もある。

また、エジプトの第25王朝の初代の王は
黒いファラオと呼ばれるヌビアの王だった。
黒いファラオはヌビア人の肌が黒いことを指している。
紀元前8世紀、エジプトが小国に分裂し、異民族が首長になって
宗教も文化も息絶えようとしていたときに
神官たちが救いの手を求めたのがヌビアだった。
この時代のヌビアは「エジプト人よりもエジプト人らしかった」と
いわれる。
黒いファラオは五人を数える。

肌が黒いという理由でヌビアの歴史はなかなか日の目を見ず
またその遺跡群もアスワンハイダムによって
危うく水没させられるところだった。
いまダムの周辺にあるアブ・シンベル神殿、フィラエ神殿、
カラブシャ神殿はこのときに移築されて水没をまぬがれたものである。

そして、いままたアスワンハイダムのさらに上流で
スーダンが建設した巨大なメロウェダムが
未発掘のヌビア遺跡を呑み込んでいる。
メロウェもまた紀元前300年ころには
ヌビアの王国の首都だった土地である。

ところで、ファルーカはヌビアの伝統的な舟だ。
アスワンやルクソールなどのヌビア地方では
いまでも生活の足として、また観光船として利用されている。
ファルーカのことを書こうとするとどうしてもヌビアを避けて通れない。
現在、エジプト文明という言葉が使われるとき
ヌビアも含んでいることを記憶しておきたい。



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タグ:帆船
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2010年03月28日

見てはいけない

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オルフェウスは妻を迎えに黄泉の国へ旅立った。
冥界の王ハデスはオルフェウスの歌に深く感じ入り
彼の妻を連れ帰ることを許したが、ひとつの条件があった。

「地上へ着くまで決して振り返ってはいけない」

オルフェウスは黄泉の国の出口で
本当に妻がついて来ているか不安になって
思わず振り返ってしまう。
こうしてオルフェウスは再び妻を失ってしまう。

同じ神話は日本にもある。
古事記のイザナギとイザナミの話だ。
黄泉の国へイザナミを迎えに行ったイザナギは
禁じられていたにもかかわらずイザナミの姿を見てしまう。

さらに時代は下ってヤマトトヒモモソヒメは
夜しか通って来ない夫の姿をどうしても見たくて懇願した結果
白い蛇の姿を見ることになる。

ギリシャ神話のプシケも暗闇の中でしか会えない夫の姿を見ようと
灯りをつけたところ、そこに眠っていたのは愛の神エロスだった。

人はどうして見てはいけないものを見たがるのだろう。
洋の東西を問わず、神話は人の弱点を伝えている。




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タグ:花束
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2010年03月20日

古代エジプトの交易

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古代エジプトの交易の記録がある。
エジプトではナイル川辺に生えるパピルスから紙を産し
洪水がもたらした肥沃な土地で有り余る食料も出来たが
他の資源がなかった。
そこで、輸出するものは紙に布、余剰食物(豆など)、
それから輸入した金銀や宝石を工芸品に加工したもの。
輸入は多岐にわたり、松や杉の材木、金銀銅、錫に宝石。
ワイン、香料、畜牛から武器にいたるまで輸入に頼っていた。

多くの交易都市が川沿いにあり
またナイルが氾濫したときは流域面積が拡大するために
季節によって通行できる範囲が変わった。
つまり季節によって通行可能になる道路が
かなり広範囲に設置されていたと考えればいい。
逆にいえば、水運が発達したゆえに
車輪を工夫するまでもなかったのかもしれない。
古代エジプトを考えるとき
川は大量の物資を運ぶことのできる道路だったことが
よくわかる。



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タグ:ナイル
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2010年03月13日

水に浮かぶ三日月と三角の帆

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人類が最初につくった舟は大雑把に3つに分けられる。
イカダ、丸木舟、動物の皮の舟も3つだ。
現在、記録に残る最古の舟は
エジプトのナイルの舟とされる(異論もある)
それはパピルスを束ねてイカダにし
船首と船尾を高く持ち上げて美しい曲線を描く舟だった。
舟が大きくなると材料はパピルスから木材になったが
船首と船尾を高く上げる形は変わらなかった。
その形は水に浮かぶ三日月のようだった。

世界の水運はナイルからはじまると言われる(異論はある)
その初期の帆船は文献の図を見ると原始的な横帆だが
横帆は風のチカラを効率的に利用はするが
風上に向って進むには不利だった。
簡単にいうと小まわりがきかないのだ。
風上に向って進んだり旋回する能力は縦帆が優れ
ナイルに浮かぶファルーカの三角帆はその縦帆の一種だ。

三日月の舟体に三角帆を張った形は美しい。
三角帆は紀元前頃にアラブ人が発明し
逆風でもジグザグに進むことのできるその機能を利用して
季節風を駆使する交易ルートを開き
海のシルクロードがはじまったといわれる。

ナイルは海のシルクロードの主要ルートである。
アラブから三角帆が伝わっても何の不思議もないが
しかし、ポリネシアの人々はアラブより1000年以上前から
逆三角帆を使って海を進んだ。
ナイルを走るファルーカの三角帆はどこから来たのだろう。



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タグ:ナイル 帆船
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2010年03月07日

カリブーの民

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カリブーの民はアラスカとカナダにまたがって
15ほどの村に住んでいる。
彼らのうちおよそ7000人ほどが
ポーキュパインカリブーの移動ルートにいる。
ポーキュパインカリブーというのは
春と秋に必ずポーキュパイン川を渡るおよそ15万頭の群れをいう。

カリブーの民は1万2000年ほど昔から
衣食住をカリブーに依存して生きてきた。
また、カリブーは人の心を持ち、
人もまたカリブーの心を持つという言い伝えがあるように
カリブーは信仰のようにもなっている。

カリブーの民は、どんなに飢えてもカリブーの出産地には踏む込むことがない。
カリブーの子供を大切に守ることによって
自分たちもカリブーに依存し続けることができるからだ。
彼らはカリブーの出産地を「命のはじまりの聖地」と呼ぶ。

その「命のはじまりの聖地」で
いま石油開発がおこなわれている。



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2010年2月20日Tokyo Copywriters' Street LIVE で収録

タグ:カリブー
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2010年03月03日

帆船はいつナイルに浮かんだか

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ナイル川に浮かぶ葦の舟が
木造の帆船に切り替わったのは
およそ6500年ほど前だという。(BC4500年)
それは巨大ピラミッドの建設よりもさらに昔のことだった。
木造といっても大木を産しない土地なので
細かな木片を継ぎ合わせて舟にした。
「木造の帆船に切り替わった」といっても
木の舟は王侯貴族のもので、庶民はまだまだ葦舟だった。
レバノンから杉材を輸入して大きな船ができるようになったのは
BC3000年くらいだそうだ。
ちょうどその頃、クフ王の父であるスネフェル王が
レバノンから40隻分の船体に使うレバノン杉を
輸入した記録があるらしい。

さて、「木造」と「帆船」の関係が問題だが
「帆船」は木造でなくても造れるわけなので
「木造の帆船」が「帆船」のはじまりというわけではない。
古代の絵を見ると、
葦舟らしきものに原始的な四角い帆をかけたものがある。

人類がいつ帆船を発明したかは実のところよくわかっていない。
エジプトのナイル渓谷には8000年ほど昔の帆を持つ舟の壁画がある。
我々ももしイカダで海を漂流することになって
そこに1本の棒があれば、マストを立て、
上着を脱いで帆を張るこころみくらいはするだろう。



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2010年02月26日

カリブーと気候変動

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最近の気候変動がカリブーの個体数を減らしているのではないか、
という意見がある。

北極海の西の島々に棲息するカリブーは
1961年は24,320頭だったが、1997年には1,100頭にその数を減らした。
1996年から1997年にかけての冬の異常高温は
カリブー生息地の豪雪と積った雪の凍結となってあらわれた。
寒いから雪が降るのではない。温暖化が豪雪をまねくのだ。

冬のカリブーは雪を掻き分けて苔や地衣類を食べる。
もし雪が深かったり凍りついていたら、
労力に見合うだけの食料が手に入らずカリブーは飢餓状態になる。
子供の死亡率も上昇する。
さらに悪いことに冬の飢餓状態のために体脂肪を減らした妊娠中の雌は
春になって出産しても母乳の出が悪く
新しく生まれた子供の生存率が下がってしまうのだ。
また、深い雪の上では動きも鈍くなって
オオカミに捕まりやすくなる。

大気中の温室効果ガスが倍増すると、
北極の積雪量も30~50%増えるといわれているように
北極地方の積雪量は地球の温暖化と深いかかわりがある。
北極地方西部の気温は過去30年間に
10年で0.5℃づつ上昇している。
この上昇率は地球全体の3倍から5倍の速度だ。
また、夏の気温が上昇することによって
夏を過ごすツンドラに蚊や寄生ハエが発生し
カリブーが食料をさがす邪魔をする。

カリブーはアラスカの生態系の中心に存在する。
カリブーのいるアラスカは豊穣の地であり
カリブーの消えたアラスカは荒涼とした土地になることが
予測されている。




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2010年02月13日

カリブーは苔を食べる

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カリブーは苔を食べる


カリブーには「餌を求めて雪を掻く獣」という意味がある。
カリブーは短い夏には北極海沿岸に生える草や灌木を食べるが
秋になるとは南の森林地帯へ移動し、
雪を掘って苔や地位類を食べて生きのびる。

カリブー苔という名の地衣類がある。
その名の通りカリブーの角が集まったような形をしている。
色は白く、水分がないと休眠してしまうが
かなり長い休眠期間の後でも復活することができる。

冬のカリブーは苔や地衣類を介して養分と水分を摂取する。
汚染物質や放射能を吸収した苔を食べると
それはカリブーのなかに蓄積される。
そのカリブーの肉をオオカミや熊や人が食べるのだ。


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2010年02月04日

ひとり、ひと冬、一頭

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最後の氷河期、イヌイットの祖先は
陸続きだったベーリング海を超えてアラスカへやってきた。
さらに南へと進んで行った人々もいたけれど
春と秋に移動するカリブーを狩ってコバック川流域に住み着いた人々は
大昔から受け継がれて来た狩猟文化をいまでも大切にしている。
おそらくそれは
日本人が鯨漁をひとつの文化と考えることと同じなのだ。
いまでは英語をしゃべり、コカコーラを飲むイヌイットには
それでもまだカリブー猟という古いオリジナルな文化が残されている。

ひとりが一日に狩ることのできるカリブーは
たとえばひとり一日20頭までというように決められているが
四人家族なら四頭のカリブーを狩ればひと冬が過ごせるという。



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2010年01月29日

なぜ旅をするのか

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旅する蝶で知られるオオカバマダラは
たとえば北米の五大湖からメキシコまでの旅をする。
そ距離は長ければ5000キロに及ぶという。
カリブーは冬の終わりになると、
アラスカのブルックス山脈と北極海に挟まれた
帯状の沿岸平野に集まって来る。
カナダのカリブーにとっては、その旅はアラスカ縦断になる。
標高2500mの山々が連なるブルックス山脈を超える旅は過酷だが
旅の途中で生まれた子供も一生懸命に母親につき従う。
そうして、秋にはまた山脈を超えて南の森に去っていくのだ。

どうして旅をするのか。
何が生き物を旅に駆り立てるのか。

人もまた旅をする生き物であり
バイカル湖のほとりからベーリング海峡を超えてアラスカへ
北米から南米へ移動した痕跡をその遺伝子のなかに残している。



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2010年01月27日

はじめにスフィンクスありき

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スフィンクスはピラミッドの守り神といわれる。
スフィンクスは巨石を運んで建造されたのではない。
もともとそこにあった岩山を刻んでつくられたものだ。

スフィンクスはギザの第二ピラミッドを建造したカフラー王によって
つくられたというのが定説だった。
スフィンクスの顔もカフラー王に似せて刻まれたともいわれる。
それからするとスフィンクスがつくられたのは紀元前2500年頃になる。

ところがクフ王のピラミッドのそばにあるイシスの神殿から発見された
インベントリー石碑には
「クフ王がスフィンンクスの近くに神殿を建てた」と刻まれている。
これを信じるならばスフィンクスはカフラー王より100年前の
クフ王の時代にはすでに存在していたことになる。

さらに地質学的な研究によると
スフィンクスを囲む壁には雨による浸食の痕跡があるという。
エジプトに雨が降ったのはいつか。
いまから1万年も昔、エジプトが緑のサバンナだった時代だ。
その後乾燥がはじまり、再び雨の多い気候になったのがBC5000年頃。
再び乾燥気候になったのは、
古代エジプト王朝が生まれたといわれるBC3000年以降。

スフィンクスの修復の跡を調べるといちばん古いものが
カフラー王の時代に当たり
スフィンクスの胴体を1mの厚さのブロックで覆っている。
1mの浸食に必要な時間の長さは?

地質学者は言う。
スフィンクスの建造年代はBC8000年頃までさかのぼることができる。
エジプト史において原始農耕がはじまったばかりとされるその時代に
アルジェリアのタッシリ文明はすでにあり多くの彫刻や岩絵が残され
土器も発見されている。
またナイル上流の現スーダン領のヌビアにも文明は存在していた。

アフリカ最古の文明がエジプトであるという既成概念から自由になると
スフィンクスの謎も解けるのかもしれない。



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2010年01月23日

ピラミッドの石はコンクリートであるという説

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ピラミッドは人工の石で建設されているという説がある。
ジョセフ・ダヴィドヴィッツ博士によると
ピラミッドに用いられている数百万個のすべての石が
石切り場から切り出されたのではなく
ジオポリマーと呼ばれる『高温で焼成する必要のないスーパーセメント』の
人造石だという。
すると、石灰岩の巨石を切り出して運ぶかわりに
水をかけて柔らかくし、砕いて運べば済む。
それを木型に入れて固めると、見事に平らな面の石ができる。
サイズも自在である。

セメントの製造技術そのものは古代から存在した。
粉々にした岩と生石灰と水でつくるのである。
その方式で建てられた代表選手がローマのパンテオンであり、
無筋コンクリートで建てられた世界最大の建物だ。

中世になるとせっかくのセメント技術はすたれてしまった。
再びコンクリートが使われるようになった現代においても
古代のセメントほど耐久性の高いものができなかった。
やがてアルカリ活性剤を加えることで品質が向上することが発見され
さらにダヴィッドソン博士によって
ジオポリマーの科学的構造が解明された。

もし、ピラミッドの石が人造石であるならば
少なくとも巨石の運搬に関する謎がひとつ解明されたことになる。

ピラミッド人工石説
http://blog.livedoor.jp/enessay/archives/6658326.html





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2010年01月17日

ピラミッドとオリオン座

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ギザの三大ピラミッドはオリオンの三ツ星を再現するという俗説がある。
三大ピラミッドというのは
メンカウラー王のピラミッド、カフラー王のピラミッド
そしてクフ王の大ピラミッドのことだ。
この三大ピラミッドが三ツ星だとすると天の川はナイル川に相当する。
ただし、頻繁に氾濫していたナイル川が
ピラミッド建設当時にいまの位置にあったかどうかは定かではない。

古代エジプトでオリオン座はオシリスにたとえられる。
オシリスはエジプトの創成神であり、また死と再生の神でもあった。

ところで、オリオンの三ツ星の配列は日本でも見られる。
住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)は一説によると
オリオンの三ツ星の神格化であるという。
「夕星」と書いて「ユウヅツ」と読むように
「筒(ツツ)」は星である。
住吉三神を祀る住吉大社の本殿は西に面して楯に三つ並ぶが
この様子は冬のはじめにオリオン座が海から登る姿だともいわれる。
さらに伊勢神宮の内宮、外宮、伊雑宮(いざわのみや)の斜めの配列も
オリオンにたとえられることだってある。

三ツ星は三つの星であり、3という数字はしばしば聖なる数字になる。
キリスト教の三位一体、ヒンドゥ教の三神一体、
日本の神話においても黄泉の国から戻ったイザナギから生まれた
アマテラス、スサノオ、ツクヨミの三貴神がいる。
ピラミッドが建造されたエジプトでも
オシリスとその妻イシス、息子ホルスの三原神が信仰され
オリオン座の三ツ星はオシリスをあらわしていた。



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2010年01月08日

ピラミッドの建設方法

05_0334.jpg

ピラミッドをつくることになった。
しかも、巨大なギザの大ピラミッドだ。時代は紀元前。

あくまでも平均だがひとつが2.5トンの巨石を250万個ほど使う。
ただ単に積むだけではない。
上流の石切り場で石を切り出し、それを磨き
帆船に乗せてナイルを下り、木橇や梃で運搬して
驚異的な精度で積み上げる
ピラミッドを建てる地盤も水平に固めておかないと
あんな巨大なものが傾いてはたいへんだ。

紀元前5世紀にエジプトを旅行したヘロドトスの記録をもとにすると
10万人の労働者が20年間働いて建設されたと推定されている。
単純に石を積む計算をしてみると、1日に320個づつ積めばいい。
1日の半分を働いたとして1時間27個のペースである。
これならできそうか?
しかしピラミッドの高さは147mある。
上に上にと石を積むためにはその都度傾斜路をつくる必要がある。
傾斜路の人手も計算しなければならない。

しかもピラミッドには星の見える窓や地下通路がある。
現代の建設会社が大ピラミッドを請け負ったとすると
上部の石はエレベーターで運び上げるだろうし
最上部の数段はヘリコプターを使わざるをえない。
しかしそれでも、古代人と同じ精密なピラミッドが建設できるかどうか、
たいへん疑問だと言われている。

1978年、大林組がギザの大ピラミッド建設を受注したと仮定して
建設計画と見積りをつくった。
大型ヘリ、クレーン、トラックを駆使して工期5年、
当時の金額で1250億円という数字がはじき出された。
これは1立方メートルにするとコンクリートのダムの2倍の工事費になる。

大林組ピラミッド建設計画
http://www.obayashi.co.jp/kikan_obayashi/pyramid/p01.html



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2009年12月31日

ピラミッドの謎

orig_egypt4B.jpg

いまさらの話だが、ピラミッドには謎が多すぎる。
まず建設された年代や建設者の名前にはまだ疑問が残っている。
ギザの大ピラミッドは本当にクフ王のピラミッドなのか?

資料はすべて曖昧であり
さらに記述された資料と対比させるべき暦に関しても
古代王朝の時代に地球の公転速度に変動が起き、
1年の日数が現在と違っていたのではないかともいわれている。
決定的な拠りどころが何もないのである。

考古学者たちはピラミッドに積み上げられた何百万の石を調べる。
当時の石切の職人の落書きでも発見できれば万々歳である。
或いはピラミッドの周辺を発掘して周辺の墓の遺物を調べる。
そのようにして、非常に間接的に年代を特定しているのだ。

そもピラミッドは本当に王の墓なのだろうか。
ピラミッドのなかで見ることができるのは
殺風景な壁と床と空っぽの石棺だけだ。
豪華な副葬品も、壁を彩るレリーフもない
祈りの言葉さえ掘られていない(もちろんミイラもない)
ピラミッドのなかはもともと空洞だったのだ。

ピラミッドは誰が、いつ、何の目的で、どんな方法で建設したのか。
実のところ、いまでもわかっていない。



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2009年12月27日

バード少将と南極の風

800px-Oldcrate1r.jpg

南極を探検したバード少将は「暖かい風」について書いている。
それはバレニー諸島から吹いてきたそうだ。
バレニー諸島はいくつかの火山島からなり、
そのうち少なくともひとつは活火山だと考えられている。

実際に南極には火山の地熱によって雪が溶けている場所があり
海水が熱せられているところや、温泉の湧くところがある。
南極の観光クルーズでは南極で温泉に入った人に
「南極温泉」の入湯証明書も発行している。

ところで、1938年にドイツを出発したナチスの南極探検隊の空母が
南極のクイーンモードランド沖に碇を降ろしたのは翌年1月だった。
それから3週間にわたって彼らは航空写真を撮影し
この撮影のおかげで南極に関しての新しい事実がいくつか判明した。
高山はないと思われていた南極に4000m級の山々があることも
このときの発見だった。
さらに驚くべきことに内陸部に温水湖があり
その周辺には植物も見られたという話もある。
真偽のほどがわからないのが残念なのだが、
温水湖の近くは夏ならば防寒具なしでも暮らせるほどの暖かさ
だったそうだ。

南極の氷は平均で2000mの厚さになるが
その底の部分で大陸の岩盤に接するところは
地熱のために氷が溶けて湖を形成する。
ロシアの南極観測基地ボストークの近くで
氷床に眠る巨大な湖が発見されたのは1989 年のことだが
南極の氷の下にはまだまだ多数の湖が眠っているらしい。

また南極には海底火山もある。
ニュージーランドの南から南極圏まで1400kmにわたって広がる
マコーレー海嶺に海底火山が存在するからだ。
そこではいまでも新種の生物が発見されている。

リチャード・バード海軍少将は1946年に開始された
米軍のハイジャンプ作戦の指揮官であり
アメリカの南極探検のヒーローでもあった。
バード少将は1947年2月15日、二度めの南極点飛行に成功している。
(バード少将の最初の南極点飛行は1929年)
そして、地底の国をかいま見たとされるのもこのときである。

バード少将が出会った南極の「暖かい風」や緑の草原は
何だったのだろう。
地熱のいたずらだけで解決するのは今は無理がありそうだし
地底国を信じるのはもっとむづかしい。
ナチスの南極探検の全貌も未だわかっておらず、南極には謎が多い。



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