2010年10月11日

ありがとうの語源

410px-Albrecht_Dürer_Betende_Hände.jpg



お釈迦さまの語録を集めたような法句経に
こんな言葉があります。

人の生を受くるは難く
やがて死すべきものの
いま命あるは有り難し

ひらたく意味を考えてみると

この世に何億も存在する生物のなかで
人間として生を受けるのはむづかしく、
また奇跡に近い希有なことだ。
やがて死ぬべきその命が
いまこうして生かされていることは
あり得ないほど神秘的な出来事なのだ。

この「有り難し」が、ありがとうの語源です。
あり得ないほどの不思議な出来事に感謝の念をあらわす言葉が
「ありがとう」です。

生まれて来たことに
そして、いま生きていることに
まず「ありがとう」




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Tokyo Copywriters' Street 10年9月放送

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2010年10月04日

金魚の産地、郡山

RedTosakin.png



日本でもっとも歴史のある金魚の産地は
奈良県の大和郡山で
これは1724年の柳沢吉里の入国に端を発する。
吉里は柳沢吉保の嫡男で、甲府藩の藩主だったが
後に大和郡山藩に移った。

さて、この柳沢吉里の家臣に横田又兵衛という人がおり
又兵衛が金魚を連れてきたのが
大和郡山の金魚のはじまりだったというのだが
15万石の殿さまと家臣団が東海道と中山道に別れて
10泊から13泊の大移動をしたときに
金魚はどんな方法で運ばれたのかが判然としない。

ともかく、こうして金魚は大和郡山にやってきた。
大和郡山は良質の地下水に恵まれていたために
金魚の飼育に適し、やがてそれは武士の内職として定着する。

大和郡山が全国に出荷するほどの金魚の産地になったのは
やはり明治になってからで、
失業した武士が最後の藩主柳沢吉申の援助を受け、
地元の農民らと協力して養殖をはじめたからだ。
現在、大和郡山は全国の金魚のシェアの40%を生産している。



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2010年09月19日

金魚の巨匠

images.jpeg



マティスの名画として知られるなかに
金魚の絵がある。
明るい花と緑に囲まれたピンクのテーブルの上に
水槽が置かれ、金魚が泳いでいる。

マティスは1911年頃から金魚を描きはじめている。
金魚をモチーフにしたマティスの絵は11点が判明しており
金魚を描いていたころのマティスは
画商から「金魚の巨匠」と呼ばれていた。

1911年、マティスはモロッコに旅をしている。
「モロッコのカフェ」という作品にも金魚が描かれているが
色彩を重要な要素とするマティスの絵画にとって
金魚は赤という魅力的な色であると同時に
オリエントの象徴でもあったようだ。




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タグ:金魚
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2010年09月16日

運動靴と赤い金魚



マジット・マジディ監督のイラン映画「運動靴と赤い金魚」は
妹の運動靴をなくしてしまった少年が
賞品の運動靴が欲しくて3等になるためにマラソンに出場する。
激戦で数人が一度にゴールになだれ込んだため
少年は気がつくと無念の1等。
期待して家で待っていた妹に、しょんぼりと首を振り
マメだらけの足を池で冷やすと、池には赤い金魚がいる。
実はこの映画で金魚はラストに近いこのシーンまで登場しない。
はじめはどこに金魚がいるのだろうと気にしながら映画を見るのだが、
面白くてつい金魚のことを忘れてしまい、
最後に金魚が出てきたのを見て、そういえばとタイトルを思い出すしくみで
そうか金魚だったと納得するのだけれど
さて、この映画の冒頭に表示されるアラビア語の原題は
何と書いてあるのだろうか。
ちなみに英語版のタイトルは「Children of Heaven」である。
タグ:金魚
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2010年09月07日

中国の金魚

Domesticcometgoldfish.jpg


金魚はフナの突然変異で、長江下流域が発祥の地とされている。
5世紀ころにはすでに飼育がはじまっていたらしい。
養殖がさかんになったのは10世紀の宗の時代で
14世紀の明の時代になるとさまざまな品種もでき
王侯貴族の愛玩物になった。

ところが、文化大革命が起こり
金魚は排斥すべき旧文化として攻撃の対象になり
金魚のみならず生産や流通にたずさわる人々まで
帝国主義者として排斥された。

なかでも回復不能な打撃は貴重種の親魚が失われたことで
金魚で生計を立てていた人々が多かった浙江省では
文化大革命集結の後も苦しい生活を余儀なくされた。

中国の金魚が復活したのは
日中友好条約が結ばれ、日本の金魚の親魚が中国に渡ってからである。



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2010年09月05日

蛍前線

shokenbi.gif
ホタル百科事典より:http://www.tokyo-hotaru.com/jiten/hotaru.html

桜前線があるのだから蛍前線があってもいいと思っていたら
実はちゃんとあった。
気象庁では、桜の開花と満開、梅の開花、ウグイスの初鳴き
カエデの紅葉、モンシロチョウの初見などを毎年記録しているが
ホタルの初見日も調査していたのだ。

それによると、九州の南半分が5月20日
瀬戸内あたりまでが5月末で、東京は6月10日
青森の手前で7月20日になっている。



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2010年08月23日

蛍を見る時期

hotaru.jpg


たいへん大雑把ないいかたをすると
蛍の飛ぶ時期は5月下旬から7月半ばだ。
とはいえ、蛍の成虫の寿命は1〜2週間なので
成虫になる時期をずらして頑張ってもらっても
2ヶ月まるまる蛍の飛ぶ川辺というのはない。

蛍は暖かい地方が早く飛びはじめるが
水温も関係するので
鹿児島の蛍がいっせいに同じ時期に飛ぶことはないし
むしろズレてもらった方があちこちで楽しめるので
こちらとしても都合が良い。

蛍はひと晩中飛んで光っているわけではなく
だいたい20時から1時間くらいのピークが終わると
草むらで休憩してしまう。そうなると光も出さない。
かと思うと、宿から蛍バスに乗ってわざわざ見に行って
藁葺き屋根も見えるような川辺で30分ほど過ごし
いいものを見たと喜んで寝てしまうと
翌朝、仲居さんに
「夜中にすぐ裏の川でたくさん飛んでいましたよ」と教えられて
くやしい思いをすることもある。

蛍はやはり地元のもので
観光客がひと晩限りの見物に行くようなものではないのだなと
そんなときに思う。



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2010年08月09日

トム・ブラウンの白馬ヶ丘


上の動画は「Tom Brown schooldays part 1」残念ながら白馬ヶ溪の描写はない



トム・ブラウンはトマス・ヒューズの小説の主人公が住む村だ。
小説は「トム・ブラウンの学校生活」というタイトルで
19世紀半ばのイギリスの白馬ヶ溪と称するのどかな田園地帯と
主人公の通うパブリックスクールを舞台にしている。
ラグビー校はラグビー発祥の地といわれ
イギリスでもっとも古いパブリックスクールのひとつである。

この本を何ページか読み進むと
主人公トム・ブラウンの生家のある白馬ヶ溪の描写になる。
「溪(たに)」は丘に囲まれた平地のことである。
そこには広大な溪がのびのびとひろがり
背後には波のような丘の起伏が連なり
その丘のひとつに
白馬ヶ丘と名付けられた特別な丘がある。
その丘にはこの本によると「ローマ軍の城壁」の遺跡が
門や濠や土手をそのままに残されている。

その白馬ヶ丘の北側の切り立った崖の上には
巨大な白馬が彫りつけられている。
この白馬がアフィントンの白馬だ。

この土地はかつてアルフレッド大王が
バイキングのデーン人と戦った土地で
「大王は勝利の記念として白馬を彫りつけた」という伝説を
主人公トム・ブラウンは信じている。
アルフレッド大王は9 世紀の人であり
アフィントンの白馬はそれより2000年も古いものであることなど
当時の人々は知るよしもなかった。

トム・ブラウンの父親は郷士の身分を持ち、母は奥方と呼ばれていたが、
父親の教育方針が
息子の遊び相手は勇敢で正直であれば百姓でも貴族でも差し支えないという
考えだったので
トムはもっぱら村の腕白小僧と交わって育った。
野原を駆け回り、魚を釣り、鳥の巣をさがし、兎を追い、
白馬ヶ丘の城壁の芝生に自分の頭文字を刻んだ。
8歳で学校に行くための馬車に乗るその日まで
白馬の溪と丘はトム・ブラウンと共にあった。
トム・ブラウンは腕白で勉強も怠けてはいるが
決して弱いものをいじめないし、卑怯なことをしないという
人間として美しい性格を持った少年だ。
この小説を読むとき、トム・ブラウンの人生のはじまりに
白馬ヶ溪の古風な村とそれをとりまく風景が存在することは
主人公の初期の人格形成を自然と納得させてくれる。



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2010年08月01日

リッジウェイを歩く

イギリスのリッジウェイ・ナショナル・トレイルは全長137km。
イギリスはもとよりヨーロッパでも最も古いと言われる道路をベースに
設置された遊歩道だ。
道路といっても紀元前の道路だから
狭くてくねくねとした道が牧場や畑の間を通っているのだが
そのリッジウェイ(Ridgeway)の西から4分の1あたりのところに
アフィントンの白馬が描かれた丘はある。

英語の読めるかたはこちらをどうぞ。
http://www.nationaltrail.co.uk/ridgeway/index.asp?PageId=1

137kmの間にはストーンサークルの遺跡もあり
また他の白馬が描かれた丘もある。
車の通行は禁止されているが自転車と馬はOKのようだ。

畑のなかの道、牧場を横切る道、森を抜ける道
なんだか心地よさそうな道を歩くyoutubeを見つけたので
ここに紹介したい。

全3部作だが、下に埋め込んだ動画の3分20秒めあたりに
アフィントンの白馬の丘が出て来る。




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2010年07月25日

馬なのか竜なのか

White_horse_from_air.jpg


「アフィントンの白馬」と呼ばれるヒルフギュアを見た人は
誰もが思う。これは本当に馬なのか?
地元では長い間聖ゲオルギウスが殺した竜だという伝説があった。
しかし、アフィントンの絵の成立はいまから3000年の昔にさかのぼり
聖ゲオルギウスの伝説は1000年に満たない。
もしかしたら、もともとこの土地には土着の竜の神話が伝わり
それがキリスト教と結びつくことによって「竜」という要の言葉だけが
わずかに残されたのかもしれない。
付近にはドラゴン・ヒルやドラゴン・ロードがある。
さらにこのあたりを通るRidge wayは
紀元前2000年ころからあったといわれる古い道で
ここを行き来する旅人のためのなんらかの目印ではないかという説もあるが
それにしてはビューポイントが限られ過ぎていないだろうか。

3000年の昔といえば鉄器時代のはじめである。
道は人や物資も運ぶが、また技術や神話や伝説も伝える。
「アフィントンの白馬」は
馬だったのか、竜だったのか、または何かの文様だったのか。
遠く離れた土地にでもいいから
アフィントンの丘の伝説が残っていないものだろうか。



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2010年07月18日

白馬の描きかた

WhiteHorse.jpg


イギリス南部、アフィントンの丘には
全長110メートルほどの絵が描かれている。
白い線だけのデザイン化された絵で
いまは「馬」と言われているが昔は「竜」という言い伝えだった。
この絵はどんな方法で描かれたのだろう。

イギリスの、たとえばドーバー海峡の白い崖はチョークでできている。
チョークとは白亜のことであり、固まっていない石灰岩だ。
イギリス南部にはチョーク地帯があり
表面の草と土を掻き取ると、何十メートルも厚みのある白い地層がつづく。

この絵がある一帯もチョーク地帯なので
要するに描きたい形に草と土を剥ぎ取ればいいだけの話だ。
もちろん、剥ぎ取った草や土の捨て場も考えなければならないし、
捨て場がなかったり剥ぎ取った溝があまりに深くなるような場合は
もしかしたら、さらに深く掘って天地をひっくり返すような方法で
剥ぎ取った土と草を埋め、その上にチョークの層を戻すことに
なるかもしれない。
けれども、方法としては「表面の草と土を剥がす」だけなのだ。

アフィントンの白馬は3000年ほど昔に描かれたといわれる。
白馬を描く白い線が3000年も白いままにしておくために
地元の村では草を刈り表面に積った土を剥がし白馬の形を整えていた。
それは19世紀の後半までつづき、村の祭にもなっていたが
地元の管理がなくなってからは遺跡保護の団体が管理をしている。

3000年もの昔、全長110メートルの絵を描くのも
それを3000年の間維持することも、なかなかたいへんなことなのだ。



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2010年07月14日

万歩計に見る天山南路の距離

sabaku.jpg



シルクロード万歩計というものがある。
それによると西安(長安)からカシュガルまで4077kmだそうだ。
途中経過していく都市ごとに距離を書き出すと
西安
宝鶏 190km 
天水 354km 名水で名高かったシルクロードの中継都市
蘭州 720km 黄河が流れる都市 砂漠に近く緑は少ない
武威 1001km 「金の張掖・銀の武威」と讃えられた緑のオアシス都市
張掖 1238km 土と水が良質で作物が豊かに実った
酒泉 1464km モンゴル高原への分岐路
安西 1751km 強風で名高い都市
敦煌 1858km かつての西域への軍事拠点 西域への入り口
ハミ 2279km 天山南路と天山北路が分かれる十字路
トルファン 2700km 世界でもっとも海から遠い盆地の中央にあり
           夏の地表温度が80℃に達する 地下水路のオアシス都市
コルラ 3074km 桜蘭、クチャ、トルファンを結ぶ
クチャ 3354km 天山南路の要所にあり紀元前から王国が栄えていた
アクス 3613km タクラマカンのもっとも北に位置する
カシュガル 4077km タクラマカンに西端に位置し、古くから交通の要衝だった

さて、この距離についてだが
酒泉から敦煌まで歩いて旅をしたあるグループが
実際に歩いた距離は415kmだそうだ。
ちなみに徒歩グループは415kmを10日かけて歩いており、
歩いたのは幹線道路、三台の車両に医師、コックまでサポートにつくという
昔とは比較にならない豪華版シルクロードだが
それでも酒泉から敦煌まで10日で歩こうとすると
1日平均40km歩かねばならず、
水を節約し、泊まれるオアシスがないときはテントを張るなどして
かなり厳しい様子がうかがえる。

これが道路ではない砂漠を歩くとすると
砂漠といえども起伏はあり、障害物もあるのだから
実際の距離ははるかに長くなると思われる。



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2010年07月08日

さらに古いシルクロード

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もっとも古いシルクロードは西南シルクロードだ。
それは狭義でいうシルクロード「オアシスの道」より1000年も古く
少なくとも3000年前にはすでに存在していたとみられている。

これも大雑把なルートを説明すると
四川から雲南を経てミャンマーを通りインド東北部へ、
そこから川沿いにインドの西北に進みイラン高原にたどり着くのが
主要なコースだ。
<長安=成都(四川省)=大理(雲南省)=ミャンマー=インド>

この道の途中、インドを東から西へ渡る途中で道を北にとると
ネパール、チベットへ行く。
三蔵法師もこの西南シルクロード利用してインドからアフガニスタンへ抜け
オアシスの道へ戻ったようだ。

西南シルクロードは「稲の道」とされているが
それと同時に、鉄を運んだ草原の道より
さらに古い「鉄の道」だったともいわれる。
日本のたたら製鉄の技術はこの道を通じて伝わってきたらしい。

道は人がつくり、人と物資が往来する。
1986年に発掘された四川省の三星堆遺跡からは
3000年前の東西文化交流の証ともいうべき文物が出土したそうだし
さらに4700個の宝貝も発見された。
宝貝はインド洋あたりのものらしい。




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2010年06月19日

オアシスの道 草原の道

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オアシスの道、草原の道

もっとも古いシルクロードは西南シルクロードといわれる。
それは狭義でいうシルクロードより1000年も前に開けた道だ。

シルクロードをまず大雑把にふたつに分けると
草原の道とオアシスの道に別れる。
オアシスの道は、現在狭い意味でのシルクロードを称されている道で
これはさらに3つのルートに別れる。
天山山脈をはさんで天山北路、天山南路、
それからタクラマカン砂漠の南をまわる西域南道である。

天山北路よりさらに北の草原の道は
ユーラシア大陸の北緯45°から55°をベルトのように貫く道で
南ロシアとカザフの草原を抜けアルタイ山脈に沿い
さらにモンゴル草原をつないでいる。
メルカトールの地図の上に本当に直線を引くと
遊牧民の連合国家のある草原に渡した帯が
カスピ海の北端から日本の東北あたりを結ぶカタチになる。

紀元3世紀ころにはこの草原の道を伝って
人や文化が日本に来ていたと思われ
その代表が蘇我氏であり、天皇制律令制の基礎を築いたという説もあるほどだ。
草原の道は単なる古い交易路というにはあまりに重要な道だ。
車輪が使える草原の道では鉄のような重いものも比較的容易に運べる。

草原の道はオアシスの道より古く
紀元前5世紀のヘロドトスの歴史書に載っている。
馬と車輪の走る草原の道、文明の高速道路といわれる草原の道を
西から東へ、東から西へ
人と物資と文化が往来した時代があったことを
そして、その担い手となった遊牧民の真実の姿を
忘れてはいけない。




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2010年06月12日

人工衛星スプートニク

732px-Sputnik_asm.jpg

●スプートニク1号 
 1957年10月4日打ち上げ。世界初の人工衛星。無生物。

●スプートニク2号 
 1957年11月3日打ち上げ。世界初の犬(ライカ犬またはクドリャフカ)を
 乗せた人工衛星。

● スプートニク3号 
 1958年2月3日打ち上げ。観測用の人工衛星。無生物。

● スプートニク4号(ボストーク試験機)
1960年5月15日打ち上げ。装置などの試験用。無生物。

● 名前なし(ボストーク試験機)
1960年6月28日打ち上げ。ロケットが爆発、宇宙犬2頭は死亡。

● スプートニク5号(ボストーク試験機)
1960年8月19日打ち上げ。宇宙犬2頭、マウスなど無事帰還。

● スプートニク6号(ボストーク試験機)
1960年12月1日打ち上げ。大気圏突入のときに分解、宇宙犬2頭は死亡。

● 名前なし(ボストーク試験機)
1960年12月22日打ち上げ。失敗したが宇宙犬2頭は脱出、生還。

● スプートニク9号(ボストーク機)
1961年3月9日打ち上げ。宇宙犬1頭と宇宙飛行士人形、無事帰還。

● スプートニク10号(ボストーク機)
1961年3月25日打ち上げ。宇宙犬1頭と宇宙飛行士人形、無事帰還。

● ボストーク1号
1961年4月12日打ち上げ。ユーリ・ガガーリン搭乗。

 


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タグ:宇宙犬
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2010年06月07日

宇宙犬の死

Sputnik2_vsm.jpg

宇宙犬は人類を宇宙へ送り出すための実験に使われた犬をいう。
1951年の弾道飛行で2頭の犬が20分ほどのフライトを経験してから
1961年に、ガガーリンが人類初の宇宙飛行士となるまで
いったいどれだけの犬が宇宙の実験に加わったのだろう。
当時は鉄のカーテンの向こう側だったソ連のことなので
発表されていない実験もあると思うが
1951年7月から9月までの6度の打ち上げで宇宙犬になった犬は9頭。
うち3頭は二度のフライトを経験している(死亡は4頭)
1954年6月から1956年6月までの2年間ではのべ20頭を数え、
当然ながら犠牲になった犬の数も多いと思われる。

パラシュートがはずれたり、ロケットが爆発したり
管制塔の誘導にミスがあったり、さまざまな理由で宇宙犬は死ぬ。
それらはすべて人間の技術上のミスである。
犬はセンサーを体に埋め込まれ、狭いカプセルに固定されている。
宇宙犬にはミスをする自由も与えられてはいない。



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2010年05月29日

宇宙犬の余生

Laika_mockup.gif

宇宙犬の余生

1951年7月22日から9月までの間に
ソ連では犬を乗せたロケットの打ち上げが6度行われた。
のべ9頭の犬が実験に使われ(うち3頭は2度乗っている)
4頭の犬が死亡しているが
無事に帰還した犬たちの余生はどうなったのだろうか。

残念ながらすべての犬の生涯の記録はいまのところ見当たらないが
記念すべき第一回の実験で弾道飛行を終えて帰還したツガンに関しては
ソ連の物理学者であり、宇宙計画の管理者でもあった
アナトーリ・ブラゴンラホフがモスクワへ連れて帰ってペットにしてしまった。
ツガンは着陸の際に負傷して地上勤務になっていたので
関係者のペットとして暮らすのはいい余生だったといえる。
ツガンは長生きをした。
ブラゴンラホフとツガンが散歩をする姿がときおり街で目撃され
ほほえましい姿だったといわれている。

さらに宇宙犬の子孫についても消息のわかるものがある。
1960年にスプートニク5号に乗ったストレルカは
地上基地の実験に使われていた雄犬との間に6匹の子供をもうけ
その子犬の一匹はJ・F・ケネディの娘キャロラインに贈られた。
プシンカというその子犬もやがてケネディ家の雄犬を父とする
子犬を生んでいる。




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2010年05月22日

なぜ犬が選ばれるのか

siba2.jpg

ロケットに乗せて宇宙空間に送り出す実験動物として
候補になっていたのは犬と猿だった。
それはつまり、温度の変化や騒音、振動に耐えながら
狭い空間に閉じ込められても大丈夫と思われたのが
犬と猿だったということだ。

しかし、猿には多少問題があった。
まず病気になりやすいこと、次に性格が乱暴なことである。
ペットとしての猿は以下のような欠点がある。
1、 大人になると気が荒くなる
2、 子供の頃にトレーニングに成功しても大人になると忘れる
3、 知能が高いのでいたずらが巧妙である。
4、 反抗して逃げ出す
5、 同じく室内を荒らす
6、 攻撃する(成獣は危険)
7、 孤独に弱い
8、 バランスのとれた食生活が必要

1957年、ソ連の宇宙犬クドリャフカが衛星軌道で地球を周回した翌年、
1958年にアメリカはリス猿を乗せたロケットを打ち上げ、
さらに1959年にはリス猿とアカゲ猿を乗せている。
そして1961年は高度な訓練をしたチンパンジーに
およそ16分半の宇宙旅行をさせることに成功している。
しかし、その後動物園で余生を過ごすことになったこのチンパンジーは
仲間と馴染めず、独身のまま孤独な生涯を過ごしたらしい。



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2010年05月15日

宇宙犬の資格

Laika_Space_Hero.jpg


ソ連の宇宙犬は1950年代から60年代にかけて活躍した。
最初の実験は1951年7月22日で
高度101kmで4分間の無重力を体験し、
パラシュートで地球に帰還した。
打ち上げから着地まで、わずか20分の短い飛行だった。

それから一週間後、7月29日の二度目の実験では
ロケットの上昇中にパラシュートが飛び出してしまい墜落。
スタッフは悲しむ間もなく
8月15日の三度めの実験に取りかからねばならなかった。

宇宙犬の候補生たちは野良犬だった。
「体重6kg以下、体高35cm以下、明るい毛の色、雌」が、その条件だ。
小型でなくてはならないのは
宇宙へ打ち上げるときに犬を乗せておくスペースの問題で、
明るい毛の色は映写機に映りやすいからだった。
雌に限定されたのは、排泄の問題だった。
雌は排泄のとき片足を上げるからだ。
さらに耐久性に優れ、しつけに従順という条件もつけられた。

9月3日、通算6度めの打ち上げのときだった。
ロケットに乗せるはずだった2頭の犬のうち1頭が逃げてしまった。
スタッフは大慌てで代わりの犬をさがし
近くの食堂で餌をもらっていた犬を捕まえてきてロケットに乗せた。
この実験も成功に終わっているところをみると
わずか20分ほどの飛行だと、それほどの訓練は必要なかったのか、
それとも食堂の犬は宇宙犬としての才能にめぐまれていたのか
そのあたりが謎である。



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Tokyo Copywriters' Street 10年4月放送


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2010年05月08日

宇宙犬の名前

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世界で初めて衛星軌道にのって地球をまわった生物は
体重5kgの犬だった。
それまでにも何匹かの犬がロケットで打ち上げられたが
いずれも弾道飛行であり、
高度100kmあたりまで上昇して降りてくるものだったので
宇宙に達したとは言いがたかった。

1957年11月3日、人工衛星スプートニク2号に搭乗して、
というか搭乗させられて高度1,660kmに達し、
地球を周回した犬の名は当時の報道によると
クドリャフカ、ダムカ、リンダなどがあった。
ソ連の記念碑に書かれている犬の名は「ライカ」だが
ライカにはスピッツタイプの犬種の意味もあり、
またロシアの一部で飼われる猟犬のすべてを指す言葉でもある。

クドリャフカには「巻き毛」という意味がある。
このときクドリャフカと共に候補になった犬には
アルビナ(シロ)、ムーカ(走り屋)の二頭がいた。
結局、アルビナは控えとして待機になり
ムーカは計器や生命維持装置のテスト犬になった。

さて、肝心の主役の犬の名前はどれだったのだろう。
いま定着している「ライカ」だと
たとえば柴犬の名前を「シバ」とつけるようなことになる。
アルビナやムーカなど他の犬の名前は記録されているのに
なぜこの犬の名前が曖昧なのだろう。
人間を宇宙へ送り出すための実験台になって宇宙で死んだ犬の名前が
こんなに曖昧なことでは申し訳ないような気がする。



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