2011年11月02日

ブリューゲルの「大食」と「憤怒」



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上の絵画はブリューゲルの七つの大罪より「大食」
銘文には「酩酊と暴食ををつつしむべし。度を超すと神と自分自身を忘れる」
とある。

下は同じく「貪欲」
銘文は「名誉も礼節も恥も神による警告も、お金を掻き集めている貪欲の目には入らない」

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ブリューゲルの国であるオランダ(ネーデルランド)は
商工業が豊かに発達していた国でした。
当時はスペインの領土ということにはなっていましたが
それ以前は神聖ローマ帝国の一部だったり
ブルゴーニュ公国領だったこともありました。
諸事情でスペインの領土ということになったとはいえ
さほど忠誠心はなかったようで
フェリペ二世が重税をかけると独立戦争をはじめています(1568年〜)

結局この戦争はネーデルランドの10州が脱落し
戦い抜いた7州が1581年に独立を宣言します。
脱落した10州は後にベルギーになるわけです。

ネーデルランドの商人たちはスペインと戦争をしながらも海外貿易を繰り広げ
衰退するスペインにかわってアジアとアメリカの貿易の主役になっていきます。

ブリューゲルが「七つの大罪」を描いたのは独立戦争の少し前です。
ブリューゲルはオランダの豊かさの影に大罪を見ていたのかもしれません。
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2011年10月28日

ブリューゲルの「七つの大罪」



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銘文にはこうある。

「傲慢な者は神々を愛することがなく、神々によって愛されることもない」
「傲慢は神が何にもまして憎むもの、同様に神もまた傲慢から無視される」


ブリューゲルは「七つの大罪」を版画の世界で描いている。
上の版画はそのうちのひとつ「傲慢」

ブリューゲルは16世紀のベルギーの画家で
初期は版画の下絵をもっぱら描き、寓話をもとにした題材が多い。
1560年くらいから油絵に専念するのだが
この「傲慢」はその少し以前、1556年から1558年頃の作品に
位置づけられている。

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2011年10月21日

七つの大罪NEW



今世紀になってバチカンが発表した新七つの大罪は
以下の通り。

・遺伝子改造
・人体実験
・環境汚染
・社会的不公正
・搾取(人を貧乏にさせる)
・富の独占
・麻薬中毒

いままでの七つの大罪が無効になったわけでなく
現代社会に根ざした新しい大罪が制定されたわけだが
それによると空き缶のポイ捨ても
リサイクルしない=環境汚染に繋がるということで大罪になるらしい。


出演者情報:山田キヌヲ 03-5728-6966 株式会社ノックアウト所属
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2011年10月14日

七つの大罪はエジプトからはじまる



七つの大罪はキリスト教の概念だが
「罪」というよりは人に罪を犯させる源となるものをいう。
罪というよりは「罪源」となる欲望や感情のことである。

七つの大罪の起源はエジプトにあり
4世紀のエジプトの神学者エヴァグリオス・ポンティコスの著作に
八つの枢要罪として登場する。
枢要という言葉が聞き慣れないが
まあ、もっとも重要な罪、罪のなかの罪というように
考えていればいいと思う。

さて、この八つの枢要罪は以下の通りだった。
「暴食」「色欲」「強欲」「憂鬱」「憤怒」「怠惰」「虚飾」「傲慢」
七つの大罪は6世紀に法王グレゴリウス一世によって
八つから七つにあらためられたもので、以下の罪があてはまる。
「傲慢」「嫉妬」「憤怒」「怠惰」「貪欲」「暴食」「色欲」



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2011年10月07日

黄金の蛮族トラキア

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ひとくちにトラキアといってもいくつかの部族に分かれており
統一国家というものは存在しなかった。
人口的にはヨーロッパの一大勢力だったので
部族同士が争わずひとりの王のもとに結束すれば
世界最強の国家も夢ではなかったはずだ。
しかし彼らの興味はそこにはなかったのだ。

トラキアは大きく分けると三つの部族があった。
南部のベッサイ族、中央のオドリュサイ族、北東のゲダイ族
世界遺産になっているスヴェシュタリのトラキア人の墳墓は
ゲタイ民族の遺跡で、黄金のマスクはオドリュサイ族の王だ。

部族によって風習も違うのでいちがいに「トラキア」として
まとめてしまうのは危険かもしれないが
共通していえることは
ギリシャやローマからは蛮族と見られていたこと、
その兵士は勇猛果敢だったこと、
魂の不滅を信じていたこと、だろうか。
古代ギリシャの歴史家ヘロドトスは言う。
「トラキアでは労働をしない人間の身分が高い。
 土地を耕すものはもっとも卑しまれる。
 戦争と略奪で生きるのが最高と言われている」

トラキアの土地は肥沃だったが
それを耕すのは奴隷の仕事だった。
トラキア人が愛していたのは戦いとそのパートナーとしての馬、
そしておそらくはまばゆい黄金の武具だっただろう。


この世でもっとも管理された集団は軍隊である(その逆は農民だ)
蛮族という言葉の示すものは礼節を知らない文明文化のない人々だが
トラキア人は高度に管理された兵士の集団であり
おびただしい黄金の異物を残したその文明は
古墳の壁画や副葬品などによって解明されつつある。



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2011年09月30日

文字を持たない黄金の国トラキア

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文字を持たない黄金の国トラキア

ブルガリアの黒海に面したヴァルナという街で
地下ケーブルの工事現場から古代の集団墓地が発見されたのは
1972年のことだった。
墓地からは遺体とともに黄金の副葬品が発見された。
それは紀元前4500年も前の黄金、
世界最古といわれてきたエジプト、メソポタミアよりも
古い時代につくられた黄金だった。
トラキアはこうして世界の注目を浴びることになった。

2004年にはブルガリア中央部カザンルクのバラの谷と呼ばれる渓谷では
紀元前5世紀のトラキア王(セプト三世)の黄金のマスクが発見され
またもや世界は騒然となった。
バラの谷には香油用に栽培されるバラ畑のなかに
1000もの古墳が点在している。
ブルガリア全土の古墳の数は25000を超える。
2008年、トラキアの古代の黄金を集めた「よみがえる黄金文明展」が
開催されたが
そのときブルガリア各地の博物館から厳選されて
日本にやってきた秘宝の数は170点余り。
王のマスク、花冠、杯、武具、装飾品など
すべてがまばゆいばかりの黄金の芸術性高いものばかりで
黄金の国トラキアを印象づけたのだった。

しかしこの黄金の国トラキアは文字がなく
トラキア人自身による歴史の書もない。
黄金の国としてスポットが当たるまで、トラキアは
古代ギリシャの歴史家ヘロドトス、詩人ホメロスの書で
わずかにうかがい知れるだけだった。
謎の国、謎の民族として忘れられようとしていたトラキアは
黄金の発掘で一躍スポットライトを浴びることになった。
近年になって発掘研究も進み
ブルガリアの人々はトラキアを話題にするようになったらしい。


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2011年09月24日

ディオニュソスの放浪

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ディオニュソスはもともとトラキアあたりの神さまだったらしい。
酒の神なので、その儀式は集団的な興奮や恍惚感につつまれており
要するに酔っぱらい集団が怖いものなしに暴れる様子を想像すれば
わかると思うのだが
そんなわけで、そのときどきの為政者に禁止されることがあった。
しかし祭り好き集団はたいして言うこともきかず
暴れまくっていたようだ。

ディオニュソスには出生の秘密ともいうべき長い物語があるが
たぶんそれは彼がギリシャに受け入れられ、
十二神の仲間入りを果たしてからさまざまな土着の神話をまとめて
つくりあげられたと思うので
とりあえずここでは紹介を省き
ただ、ディオニュソスがギリシャの神々の仲間入りをするまでの
長い旅をざっと書いておきたいと思う。

まずエジプトとシリアをさまよい歩く。
トラキアではエドノス族の王に追放される。
(女の信者が亭主を放ったらかして乱舞したせいだといわれる)
テーバイでは王の母を狂わせ、息子殺しをさせてしまう(酒は怖い)
オルコメノスでは言うことをきかない王の娘三人をコウモリに変えてしまった。
アルゴスでも信徒にならなかった娘三人を発狂させた。
ナクソス島へ渡ろうとして海賊に捕まったときは
マストと舵を櫂に変え、自分は獅子の姿になり、あまつさえ甲板に熊を召還した、
海賊どもは逃げ惑い海に飛び込んでイルカになってしまった。
葡萄の産地エレウテライに来たときも信仰を怠った王の娘たちを狂わせた。
後に王はディオニュソスを祀り、娘たちももとに戻っている。

このへんがギリシャとその周辺におけるディオニュソスの冒険だが
ディオニュソスは実はインドまで遠征し、征服したという話もある。
神話とアレキサンダー大王の伝記がごちゃまぜになったような話だが
まあワインが東へ伝わった程度に考えていいかもしれない。
インドにはシヴァ教があり、ディオニュソス教とともに
農耕文明の自然崇拝から発生した精霊信仰を受け継いでいる。

ディオニュソスの放浪の大部分は信仰の弾圧と
それに対するディオニュソスの反発というパターンで、
@ ディオニュソスの行く先々で信者の女が義務を忘れて楽しみにふける
A それに従わない権力者の娘、または弾圧する権力者
B 報復するディオニュソス
ということになっている。

要するに他所から来た権力者に都合の悪いディオニュソス教が
どうしようもなく受け入れられる過程が旅の物語として伝えられているのだ。
嫌われまくったディオニソスは結局のところ
民衆の人気に負けてギリシャの神々の仲間になった。

物語にはディオニソスの行くところ女の信者が酩酊して狂乱した様子が
よく描かれているが
とどのつまりは、日頃は抑圧されている女性が、
たまには亭主や子供のことを忘れて楽しんでもいいじゃないのよ、と
まあそういうことからはじまって
ついには男性もひっくるめて法や束縛からの解放という意味合いになったのだと思う。

ディオニュソスはさまざまな土着の神の集合体といわれるが
その中心はトラキアの北あたりらしい。



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2011年09月17日

トラキア生まれのオルフェウス

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オルフェウスはトラキア王オイアグロスと音楽の女神カリオペの息子だ。
アポロンから竪琴を習い、やがてギリシャでいちばんの名手になった。
オルフェウスが竪琴を奏でると嵐も静まったほどだ。

オルフェウスにはエウリュディケという妻がいたが
ある日、毒蛇に噛まれて死んでしまった。
オルフェウスは妻を取り戻すために黄泉の国へ行き
楽の音で冥界の人々を魅了して黄泉の国の王の前に立った。

黄泉の国の王ハーディスは
冥界を出るまで振り返ってはならないという約束を求めた。
オルフェウスは約束に従って妻を連れ出したが
出口の光が見えたところで振り返って妻を見てしまった。
妻は再び黄泉の国に戻ってしまった。

これがオルフェウスの名高い神話の部分だが
その後、オルフェウスは宗教の開祖となった(と、されている)
それがオルフェウス教だ。
ギリシャの古代宗教は死語の世界についてほとんど言及していないが
同じギリシャの密教だったオルフェウス教は魂の不死を説き、
輪廻転生によって肉体が繰り返し生まれ変わるとしている。
そして輪廻転生は悲しみの輪であり、
最終的にはそこからの解脱を目的としている。

トラキアにはもともと土着のディオニュソス崇拝があった。
これは集団が歌い踊る祭礼をともなっていた。
ディオニュソスはローマ神話におけるバッカスで
要するに酒の神、豊穣の神、酔っぱらいの神であり
その誕生の過程で一度死んで生き返っているから死と生命の神ともいえる。
そのキーワードを抜き出して
「酒、豊穣、酩酊、死、生」と「集団の歌と踊り」をくっつけてみると
だいたいその賑やかさが想像できるが
そのディオニュソス教から禁欲的な異端の宗教として生まれたのが
オルフェウス教だったのだ。
非常に乱暴な説明をすると
ディオニュソス教は集団で歌い踊る宗教で、オルフェウス教は個人が
精進する宗教といえると思う。

オルフェウス教は魂の不死というのがいかにもトラキア的だが
ギリシャへ渡り都市化したオルフェウス教は秘密の宗教だったので
正確な記録というものもなく
ただ、文明の向こうに位置すると思われていたトラキアの影響を知る
小さな手がかりに過ぎないのが残念だ。



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2011年09月10日

トラキアの東の風の国

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トラキアは現在のトルコ、ギリシャ、ブルガリアにまたがって
かつて存在していた(上の地図のうす茶の部分)
そこにはトラキア語を話す民族が住んでいて独自の文化が栄えた。
トラキアはあくまでもトラキア人が小部族を形成して
住み着いている「地方」であり
人数的には大勢力であったがトラキア帝国というような統一国家はなかった。
文字もなかったので正史も記録されていない。
紀元前11世紀ころには都市国家らしきものがあり
紀元前7~6世紀に全盛期を迎えた形跡はあるようだが
紀元前6世紀には早くもギリシャの植民都市が建設されているし
ペルシャが進出するとその支配下に入っている。
紀元前4世紀にはマケドニアに征服され
その後もローマ帝国、ブルガリア帝国、オスマン帝国などに
支配されつづけている。

トラキアが歴史上ではじめて登場するのは
ホメロスの叙事詩「イーリアス」で、ここにはトラキア人が
トロイアを支援して戦ったと書かれている。
紀元前8世紀半ばのことである。

紀元前の歴史家ヘロドトスはトラキアとさらにその先のスキタイまで
旅をしたらしく、
紀元前5世紀ころのトラキアの風俗についても言及している。
古代ギリシャからみるとトラキアは文明の外にあり
死を恐れぬ蛮族の土地、黄金の土地、東の果ての神秘の土地でもあった。
乱暴な風の神が棲んでいても何の不思議もないところだったのだ。



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2011年07月04日

日本の宇宙食

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宇宙食はおおざっぱにいうと、ふたつに分けられる。
宇宙食として認定された一般食と飛行士の希望で持ち込まれる特別食だ。
特別食の場合は短期に消費されるために
審査にパスすれば市販の食品でも持ち込むことができる。

国際宇宙ステーションでは多くの国から飛行士が参加するために
参加国の宇宙局が独自に宇宙食を開発したり認証したりできるようになった。
いまのところ日本の「認定宇宙食」は28品目ある。

白飯、赤飯、山菜おこわ、鮭おにぎり、白粥、
玉子スープ、ワカメスープ、お吸い物
トマトケチャップ、マヨネーズ、野菜ソース、
人参ゼリー、トマトゼリー
醤油ラーメン、シーフードラーメン、カレーラーメン
ビーフカレー、ポークカレー、チキンカレー
サバの味噌煮、イワシのトマト煮、サンマの蒲焼き
緑茶、ウーロン茶
小倉羊羹、栗羊羹、黒飴、ミントキャンディ



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2011年06月28日

宇宙食の条件

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@長期保存ができてに、A小型軽量であり、B匂いがなく、C飛び散ることがなく
D栄養価に優れ、Eおんどの変化で変質することなく
F衝撃にも強く、G調理器具を必要としない

宇宙での食べ物が上のような条件を満たさねばならなかった時代、
宇宙職とはすなわち離乳食に似たものだった。
宇宙ではじめて食べ物を口にしたのは1961年、ボストーク2号のチトフ飛行士で
1962年アメリカのマーキュリーがそれに続く。
宇宙食の内容は単純で、
ひと口サイズの固形食とチューブ入りのペースト状のものだけだった。

宇宙での滞在時間が長くなるにつれて単純な宇宙食は飛行士を悩まし
ストレスのもとにもなった。
1965年にジェミニ3号に乗り込んだジョン・ヤング飛行士は
ついに宇宙船のなかにターキーサンドイッチを持ち込んだ。
もちろんこっそり持ち込んだので行為そのものは問題になったが
しかし、食事は宇宙での士気にかかわるという主張は認められ
これがきっかけになって宇宙食が改善されていったのである。



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2011年06月19日

ジョナサン・スウィフトのイギリス

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1667年生まれのジョナサン・スウィフトの時代をのぞいてみる。
フランスには太陽王ルイ14世がいる。
イギリスの数学者アイザック・ニュートンは
すでに万有引力を発見している。

イギリスの国王はチャールズ2世が1685年に亡くなり、
弟のジェームズ2世が即位したものの名誉革命で廃され
ウィリアム3世、メアリー2世(ジェームス2世の長女)の共同統治を経て
1702年にはアン女王(ジェームス2世の次女)の時代になっていた。
政治的には不安定な時期といえるが
一方ではそれによって言論の自由が認められ
ジャーナリズムが発展していった。

イギリス最初のコーヒーハウスは
1650年にオックスフォードで開店しているが
またたくまにロンドンにも波及し、1683年には3000軒を数えた。
そこではあらゆる新聞雑誌を読むことができ
情報収集の場になるとともに政治や文学をはじめとする
あらゆる議論の場にもなった。

近代広告の先駆けとなったチラシもコーヒーハウスから誕生し
ロイズ保険会社もコーヒーハウスから生まれた。

ジョナサン・スウィフトの著作には
政治的なパンフレットや政治・宗教・社会風刺的なものが多い。
それはコーヒーハウスに入り浸っているスウィフトを想像させるに十分と思う。



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2011年06月11日

ジョナサン・スウィフトの名言



賢者で若くなろうと望む者はいない

誇り高き人でありたいと思う者は、己の虚栄心を隠さなければならない

世に最も輝かしく、最ももろいものが二つある。一つは女の顔、他の一つは陶器

幸福とは、巧みにだまされている状態の不断の所有である

約束とパイの外皮は容易に破れる

血縁が濃いほど闘争する残忍さが大きい

大工は削り屑によって知られる




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2011年06月07日

ジョナサン・スウィフトの A Modest Proposal (穏健なる提案)

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ジョナサン・スウィフトには恐ろしく長いタイトルの著書があって
ちょっと書きだしてみると
 A Modest Proposal: For Preventing the Children of
  Poor People in Ireland from Being a Burden to
 Their Parents or Country, and for Making Them Beneficial to the Public


さらに翻訳すると
アイルランドにおける貧民の子女が、
 その両親ならびに国家にとっての重荷となることを防止し、
 かつ社会に対して有用ならしめんとする 方法についての私案


A Modest Proposal (穏健なる提案)は
要するに上記の長いタイトルを縮めたものだ。
その内容は、窮乏の末に死んでしまう大勢の子供たちを
1歳で食肉として利用するという提案である。

この著書はアンドレ・ブルトンがブラックユーモアの三大著書に挙げているが
もともとユーモアとして書かれたものではない(言うまでもないが)
アイルランドの窮状がこれほどまで悲惨なことになっている訴えであり
救済ができない政治への激烈な皮肉である。

幸いこのテキストは青空文庫に日本語訳があるので
その一節と日本語訳へのリンクを掲載しておきます。


当事者であれば、以下のことに同意してもらえるだろう。
我が王国において、厖大な量の子供が、
乞食である母親(父親のときもある)の腕に抱かれたり、
背中に背負われたり、後ろを歩いていたりしている。
子供たちは悲惨な状態にあって、非常に多くの問題をもたらしている。
それゆえ、子供たちを社会にとって健全かつ有用な社会的財産にするための、
公正で、安価で、簡単に実行できる方策を発見できる者がいるならば、
その者は社会にとって望ましい人であるから、
国家の保護者として銅像を設置するに値しよう。

だが私の目的は、ただ公然たる乞食の子供を救うにとどまらない。
より広義の目的は、ある特定の世代における子供全体の数を減らし、
その子供を産んだ親を実質的に援助し、
それによって通りで慈悲を乞う人々を助けようとすることにあるのだ。

私は数年間、この重要な問題について思いをめぐらし、
他の方々の計画を慎重に見ていった。
その結果、この方たちは大きな計算違いをしておられると考えざるをえなかった。
確かに、生まれたばかりの赤ん坊は、丸一年間は母親の乳で育てられ、
他の食べ物はわずかですむ。二シリングもあれば十分だろう。
母親もそれくらいの金や残飯は、乞食商売で正当に稼げるだろう。
私の提案は、子供が丸一歳になった時に救いの手を伸ばそうというものである。
この提案を実行すれば、子供が両親や教区に負担をかけたり、
死ぬまで衣食に苦労させるかわりに、
何千もの人々に食料と(幾分かは)衣料を提供することになるのだ。

私の提案にはもう一つ大きな利点がある。
それは、堕胎を防止し、
母親が私生児を殺すという恐ろしい事態を防ぐことができるのだ。
ああ! そんなことが我が国で横行し、無垢な赤ん坊を死に追いやっているのだ。
おそらく恥辱を隠すためというよりは出費を避けるためであろうが、
これにはいかに極悪非道な者の胸にも同情の涙を催さずにはいられないであろう。


青空文庫の「穏便なる提案」:http://www.e-freetext.net/mdstj.html



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2011年06月02日

ジョナサン・スウィフト

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ジョナサン・スウィフトはガリバー旅行記で知られるが
本職は司祭であった。
1686年にダブリン大学で学士号を受け、いったん職についた後
1692年にオックスフォード大学で修士号を受けている。
それからアイルランド教会の司祭に任命され、
どうやら失恋のためらしいがアイルランドを去っている。

それからまたスウィフトは
アイルランドの法院長の一人バークリー伯の家付き司祭としてアイルランドに戻り
1702年にダブリン大学から神学博士の学位を受けている。

ジョナサン・スウィフトの作家としての評価は
1704年に出版された『桶物語』と『書物合戦』からだが
それ以前も政治的なパンフレットを匿名で印刷しており
イングランドの教会に職を得ることに失敗して
ダブリンの聖パトリック教会の主席司祭に就任してからは
政治パンフレットの執筆にますます拍車をかけることになった。

「アイルランド製品の広汎な使用の提案」(1720年)、
「ドレイピア書簡」(1724年)、
そして「穏健なる提案」(1729年)などの執筆で
ジョナサン・スウィフトはアイルランドの愛国者としての地位を高めた。

スウィフトの最高傑作「ガリバー旅行記」は1926年の出版で
この物語には当時の政治を風刺する場面が多く出てくるが
翌年にはフランス語やドイツ語の翻訳版も出版されるほどの人気になった。

1935年にアンドレ・ブルトンがブラックユーモアの手本として挙げた3冊の本、
「箒の柄の上の瞑想」(1710年)、
「穏健なる提案」(1729年)、『奴婢訓』(1731年)は
いずれもジョナサン・スウィフトの作品である。



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2011年05月08日

春の山野草図鑑



タグ: 山野草
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2011年04月17日

シリウスの暦とヘリアカルライジング

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ナイルの洪水が始まる日は日の出前にシリウスが昇った。
シリウスは全天でもっとも明るい星である。
いまは青白いが、古代の文書には「赤」と書かれているのが不思議だ。
本当にアルデバランのような赤い星だったのか、
それとも「明るい」を「赤い」といったのか、そのあたりがわからない。

エジプトで暦が生まれた頃
シリウスはナイルの洪水を予測する位置にあった。
なにしろまる1年ズレる古代の暦を
現代の暦に換算するのは無理と思うので
いまは現代の暦を使わせていただくと
シリウスは5月〜6月は昼間に空にあるので見えない。
そのシリウス不在のときを過ぎると
ヘリアカルライジングがやってくる。
それは消えていたシリウスが再び姿をあらわす日で
日の出直前に、太陽を導くようにしてシリウスが昇るのだ。
それは夏至のころだったという。
そして、その日からナイルの洪水がはじまった。

古代エジプト人はヘリアカルライジングを観測していたので
1年365日で閏年のない暦だと
毎年ヘリアカルライジングがズレていくことも知っていた。
シリウスを基準にすると、エジプトの計算では
ヘリアカルライジングの元旦を迎えてから
次のヘリアカルライジングの元旦を迎えるまでに1460年かかる。
つまり1460年でまる1年の誤差が生じるのだ。
(実際は1507年のようなのだが)

100年くらいで滅びてしまう王朝ならば
そこまで暦がズレることもないが
エジプト文明はあまりにも長かったので
太陽神ラーからもらった暦はあまりにもズレまくった。

そこで、古代エジプトでは内緒の暦があり
4年に一度はこっそり閏年をもうけていたのだ。
それは農業用の暦で、種を撒く時期などもこれで決めた。
そりゃあそうです。
洪水の水が引いておらず、畑は水浸しのときに
ラーの暦が「収穫せよ」と命じても無理ですからね。


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2011年04月10日

3つの季節プラス5日

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エジプトの季節は3つに分けられた。
アヘト=ナイルの氾濫期
ペレト=水が引いて畑をつくり種を撒く時期
シュム=収穫の時期
この3つの季節はそれぞれ4つの月を持ち
4つの月はそれぞれ30の日を持った。
30日×4月×3季節で360日
この360日に5人の神さまの誕生日の5日を加えた
365日がエジプトの1年だった。
この暦は神から与えられたものとされた。

太陽暦とはいいつつも
1月という概念は月の満ち欠けからきたものだろう。
月の満ち欠けの周期は29.27日から29.83日だ。
で、1月を30日としておいて1年12ヶ月で360日。
5000年も昔ならばこれでも十分な気もしないでもない。
わずか1000年前の日本の暦でさえ
年内に立春が来てしまうような事態もあったわけなのだ。
(年のうちに 春は来にけり ひととせを
 去年とやいはむ今年とやいはむ 在原元方)

しかし古代エジプト人はここに5日を加えた。
その5日を加えた理由というのが面白いので
長くなるがざっと書いておく。

地の神と天の女神は兄妹でもあり仲の良い夫婦でもあったが
あまりに仲良くて離れようとしない、
つまり天地が分離しない。
そこで怒った父親の大気の神がふたりを引き離し
ここに天地は分離するのだが
すでに天の女神は妊娠していた。
太陽神ラーは1年360日でこの世を支配していたが
天地の分離が遅れたことに腹を立てていたラーは
360日どの日も出産禁止にしてしまった。
それを気の毒に思った知恵の神トトが360日以外の日を作るべく
時の支配者である月のもとへ行き勝負を挑んで勝った挙げ句、
どの月にも属さない5日を勝ち取ったのだという。
この5日のおかげで
オシリス、ハロエリス、セツ、イシス、ネフティスという
エジプト神話の重要な神々が生まれた。

しかし、1年365日でも本当は足りなかった。
4年に一度の閏日が必要だった。
そのことは古代エジプトの人々も観測が進めば当然わかっていたのだが
しかしラーに遠慮したのか怒りを恐れたのか閏日を用いなかった。

閏年のない暦はどうなるかというと
1500年もするとまるまる1年ズレてしまう。
しかし、短命な古代エジプト人の寿命からすると
一生で起こるズレは数日だったので目くじら立てるほどのことは
なかったのかもしれない。
しかし、ラーが与えてくれた暦の他に
閏年のある暦もこっそり使っていたらしい。


Voice:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP
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2011年04月03日

エジプトの暦のはじまり

koyomi-eji.jpg


エジプトの暦は毎年起こるナイルの洪水からはじまる。
ナイルは世界最長の川で、その全長は
在ウガンダ日本大使館のHPによると6695kmだ。
ただそのHPにはナイルのはじまりがビクトリア湖になっている。
実際にはビクトリア湖の先にも川が存在し(ルヴィロンザ川)
その川の源流がナイルの源流といえる。
ビクトリア湖から下流の国を数えても
ウガンダ、スーダン、エチオピア、エジプトの四カ国を流れ
地中海に注ぐのだ。

ナイルの氾濫はエチオピア高原に降った豪雨が
青ナイルを流れ下るからだといわれている。
洪水は上流から超えた土を運んでくるし
土の塩分を洗い流してくれる。
乾燥地帯で作物をつくるために水をやると
土のなかの塩分が水に溶けて毛細管現象で表面に蓄積する。
塩分の蓄積した土壌は砂漠よりも不毛な土地になるのだが
エジプトでは都合良く毎年洪水が起こって塩を洗い流し
おかげでナイルデルタは古代から世界有数の穀倉地帯だった。
これも洪水のおかげである。

ナイルの洪水は毎年同じ時期に起こる。突発的な洪水はなかった。
しかし洪水は洪水なので恵みももたらしたが被害もあった。
ところが洪水の当事者であるエジプトで雨が降るわけではなく
洪水の元は1000km以上も向こうにある。
種子島の先で降った雨が東京で洪水を起こすようなものだ。
いまここで降っていれば大雨洪水警報を発令して避難もできるが
種子島で降った雨なぞ誰が知るかというときに
ナイルは水かさを増していくのだ。
それも長距離を流れるせいで雨から1ヶ月以上の時差がある。
ナイルの恩恵は欲しいが被害は食い止めたい。
それにはまず洪水の予測である。

日の出のときの太陽の位置や星の動きで
1年というものがわかってきた頃に
雨も降らないのに毎年同じ時期に洪水になることにも
誰かが気づいたに違いない。
春夏秋冬のないエジプトでは季節は3つに分けられた。
ナイルの氾濫の時期、種を撒く時期、収穫の月の3つである。
洪水を予測し、季節を正確に区分したい、
そんなことからエジプトの暦ははじまった。
それが遅くとも紀元前3000年のころだったそうだ。
(Wall Street Journalでは紀元前4241年としている)
当時の暦は太陽暦で1年は365日で閏年はなかった。
そして、洪水のはじまる日が1年のはじまり、元旦になった。


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2011年03月27日

プトレマイオス三世、書物を騙し取る

Incendie_Alexandrie.jpg


アレクサンドリアの図書館は
プトレマイオス朝の歴代のファラオの手厚い保護を受け
70万の図書を収集していたと伝えられている。
世界最古の紙もまだ発明されておらず
印刷技術など夢にも見たことがないという時代の書物は貴重で
これを収集するにはさまざまな手段が必要だった。

まず、金を払って買い集める。これは正当である。
次に強奪する方法がある。
アレクサンドリアの港では寄航した船の積み荷を検査し、
書物があれば図書館に所蔵する価値があるかどうかを検討する。
所蔵が決まればその書物の写本(複製)をつくり
原本をいただいて写本を持ち主に戻すという方法をとった。
写本と共に賠償金も支払ったようなので
「強奪」とは言えないかもしれないが
それにしても強引なことではあった。

さて、その頃のアテネの図書館には
アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスという
古代ギリシャの三大悲劇詩人の自筆原稿があった。
門外不出の貴重品として所蔵していたのだが
プトレマイオスはそれがどうしても欲しかったので一計を案じた。
「保証金を預けますから写本をつくる間だけ貸してもらえませんか」
保証金はあまりに莫大だったので
アテネの図書館はコロッと騙されて貸してしまった。
これが間違いのもとだったのだ。
プトレマイオス三世は詩人らの自筆原稿を我がものとし
写本をアテネの図書館に差し出した。
保証金ももちろんアテネ図書館のものになったが
そこまでしても欲しがっていたことを見抜けなかった
アテネの負けである。

この人類史上最大の図書館が失われたのは
後世の戦争による火災や略奪だといわれているが
復興不可能なほどの壊滅的な打撃は紀元4世紀以降の
キリスト教による破壊だった。
キリスト教の暴徒によってアレクサンドリア図書館のみならず
神殿や記念碑は度重なる攻撃を受けた。
415年には図書館に向かう館長のヒパティアを襲い
教会に連れ込み裸にして、
牡蛎の貝殻で生きたまま彼女の肉を剥いで殺してしまった。
この無惨な殺人を目の当たりにした学者は
次々とアレクサンドリアを去り
数世紀にわたる学問の殿堂は建物も書物も人も消えてしまった。


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