2011年03月06日

そもプトレマイオスのはじまりは

800px-Map-alexander-empire.png
*上はアレキサンダー大王の版図

プトレマイオスはエジプトのファラオの名として知られている。
プトレマイオス王朝は紀元前306年から276年も続いたし
プトレマイオスと名前のついたファラオは十五世までいる。
ちなみにプトレマイオス十五世は
あのクレオパトラとシーザー(ユリウス・カエサル)の息子だ。

ところでそのプトレマイオスだが
プトレマイオスを語るとなると
やはりプトレマイオス一世からはじめなければならない。
プトレマイオス一世はファラオになる前は
かのアレキサンダー大王(マケドニア)の将軍だった。
アレキサンダー大王はマケドニアの王さまで
ギリシャに覇を唱えたかと思うと小アジア(いまのトルコのあたり)を攻め
シリアとフェニキアを蹴散らしてエジプトに侵入、
これを征服したかと思うと、ペルシャに侵攻し
勢いあまってインドまで攻め入っている。
東のチンギス・ハーン、西のアレキサンダー大王というくらい
その版図は広い。

マケドニアという国はもともとギリシャ人が住んでいたので
アレキサンダー大王もプトレマイオス将軍もギリシャ人だ。
そのアレキサンダー大王がエジプトを征服したときのファラオは
ペルシャ人だったが、どうやら過酷な統治をしていたらしい。
アレキサンダー大王は解放者として人気を博し
メリアメン・セテプエンラーというややこしい名前のファラオになった。

さて、アレキサンダー大王はインドから戻ったと思うや
高熱を発して亡くなってしまう。
その遺言は「最強のものが帝国の継承者」という
いかにも争いの種になりそうなもので、
残された将軍たちは会議を開いたり争ったりしながら
領土を切り取っていった。
そのとき、プトレマイオスが獲得したのがエジプトだったので
ここにプトレマイオス朝初代ファラオとしての
プトレマイオス一世が誕生する。紀元前305年のことだった。
プトレマイオス一世はマケドニアに移送中の
アレキサンダー大王の遺体を強奪し、ミイラにして
エジプトの首都アレキサンドリアに埋葬してしまったが、
そんなに大王が好きだったのか?
共に学んだ「学友」でもあったらしいのだが。

さて、プトレマイオス一世はエジプトの公用語をギリシャ語とし
ヘレニズム文化を導入した。
アレキサンドリアは大都市となり、
世界七不思議のひとつでもある大灯台の建設もはじまった。
なによりも人類史上最大の図書館ができた。

プトレマイオス一世はアレキサンダー大王の伝記も執筆しているが
アレキサンドリア図書館焼失の際に失われている。

プトレマイオスはざっと初代だけでもこれだけの説明がいる。
たいへん面倒なことだ。
なかなか三世までたどりつけないぞ。



Voice:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP
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