2010年12月26日

森本一房くんの叔父さんとその子孫

Tsuyama_Castle_old_potograph.jpg


森本一房くんのお父さん、一久くんには弟がいた。
弟は津山藩の藩主森忠政(森蘭丸の弟)に呼ばれ、
錦屋という屋号で津山の御用商人になった。
札元であり、呉服商でもあったらしい。
札元というのは藩札を発行する私的造幣局のようなものだ。
津山藩は1697年に藩主が発狂し解体され、翌年に越前松平家から
宣富が入封になって明治までつづく。

一房くんの叔父サンからはじまった錦屋も明治を迎えた。
明治13年(1880年)には当主の森本藤吉が自宅内で銀行を開業した。
さらに明治15年には呉服屋のかたわらで時計屋をはじめた。
明治15年開業の森本時計店である。津山ではじめての時計店だった。
明治42年には呉服屋も時計屋もやめてしまった。
前年に森本藤吉は病にかかり後継の森本慶三(1975年生)が
家業を継ぐために東京から戻ってきていたが
この人は内村鑑三の弟子になり洗礼を受けキリスト教に入信しており
どうも興味が商売になかったのではないかと思う。
それでも明治45年(1912年)には父藤吉の仕事を継いで
津山銀行の頭取になっている。
同時に明治44年と45年には内村鑑三を津山に招いて
聖書講演会を開いている。布教活動である。
この頃から基督教図書館開設の望みを抱いていたらしい。
大正13年(1924年)には、津山銀行は山陽銀行と合併、
慶三は非常勤取締役に就任する。
この頃は週一で銀行のための祈祷会を行なっていたようだ。
またこの年に図書館も着工し、
大正15年(1926年)には内村鑑三を招いて開館式を行なった。

これ以降は伝道やら講演やら禁酒運動やらの宗教活動がさかんになる。
(その前もさかんだったが)
本業であるはずの銀行はというと
昭和5年(1930年)に中国銀行に合併となり
その取締役に就任している。

さて、戦争中のことだった。
津山基督教図書館は反戦施設として憲兵に押収された。
やがて戦争も終わり、昭和25年にその建物は
夜間専門の津山基督教図書館学園になって
慶三は校長兼宗教家の先生として教え始める。
この学校は昭和52年まで続いた。

さて、その津山基督教図書館であり、また学校でもあった建物は
いまどうなっているかというと
1998年には文化庁の有形登録文化財に指定され
いまは森本慶三記念館になっている。
記念館のなかには歴史民族館があり、森本家所蔵の調度品や
津山藩の殿さまからの拝領品、幕末から明治の洋学資料、
日本各地の絣・紬のコレクションなどが展示されている。
さらにいうと津山科学教育博物館をつくったのも森本慶三で、
いまは「つやま自然ふしぎ館」と名前を変えて
子供たちが科学を学ぶため役立っている。

つやま自然ふしぎ館:http://www.fushigikan.jp/


Voice:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP
Tokyo Copywriters' Street 10年11月

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