2011年03月27日

プトレマイオス三世、書物を騙し取る

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アレクサンドリアの図書館は
プトレマイオス朝の歴代のファラオの手厚い保護を受け
70万の図書を収集していたと伝えられている。
世界最古の紙もまだ発明されておらず
印刷技術など夢にも見たことがないという時代の書物は貴重で
これを収集するにはさまざまな手段が必要だった。

まず、金を払って買い集める。これは正当である。
次に強奪する方法がある。
アレクサンドリアの港では寄航した船の積み荷を検査し、
書物があれば図書館に所蔵する価値があるかどうかを検討する。
所蔵が決まればその書物の写本(複製)をつくり
原本をいただいて写本を持ち主に戻すという方法をとった。
写本と共に賠償金も支払ったようなので
「強奪」とは言えないかもしれないが
それにしても強引なことではあった。

さて、その頃のアテネの図書館には
アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスという
古代ギリシャの三大悲劇詩人の自筆原稿があった。
門外不出の貴重品として所蔵していたのだが
プトレマイオスはそれがどうしても欲しかったので一計を案じた。
「保証金を預けますから写本をつくる間だけ貸してもらえませんか」
保証金はあまりに莫大だったので
アテネの図書館はコロッと騙されて貸してしまった。
これが間違いのもとだったのだ。
プトレマイオス三世は詩人らの自筆原稿を我がものとし
写本をアテネの図書館に差し出した。
保証金ももちろんアテネ図書館のものになったが
そこまでしても欲しがっていたことを見抜けなかった
アテネの負けである。

この人類史上最大の図書館が失われたのは
後世の戦争による火災や略奪だといわれているが
復興不可能なほどの壊滅的な打撃は紀元4世紀以降の
キリスト教による破壊だった。
キリスト教の暴徒によってアレクサンドリア図書館のみならず
神殿や記念碑は度重なる攻撃を受けた。
415年には図書館に向かう館長のヒパティアを襲い
教会に連れ込み裸にして、
牡蛎の貝殻で生きたまま彼女の肉を剥いで殺してしまった。
この無惨な殺人を目の当たりにした学者は
次々とアレクサンドリアを去り
数世紀にわたる学問の殿堂は建物も書物も人も消えてしまった。


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2011年03月20日

プトレマイオス三世

Berenike_II_.jpg
*写真はプトレマイオス三世の妻ベレニケ二世


プトレマイオス朝の三代め、プトレマイオス三世も賢王だった。
プトレマイオス朝はこの王のときに全盛期を迎えたといえる。
即位した年(BC246年)にシリアに嫁いでいた姉妹を殺され
その報復でシリアを攻め(第三次シリア戦争)、
首都アンティオキアを占領。
その勢いで20km余り先の交易都市セレウキアになだれ込みひと稼ぎした。
(つまり略奪をした)
まあ、これはシリアが悪い成り行きのようだ。
第二次シリア戦争が終結して和睦のしるしに嫁にやったプトレマイオスの
姉ちゃんだか妹だかは殺されてしまったのだし。
しかし、殺したのはシリア王ではない。王の前妻だ。
前妻は後妻ともども王も殺してしまった。
よほど離婚に恨みを持っていた…というよりも権力争いだ。

さて、プトレマイオス三世の歴史に残る戦争といえばまあこのくらいだ。
アレキサンドリアの大灯台は父の代に完成している。
図書館には名だたる学者と文化人が集まっている。
その図書館の館長は地球の大きさをはじめて測ったエラトステネスだ。
プトレマイオス一世が持ち込んだヘレニズム文化は
エジプト文化とほどよく融合しているし
妻のベレニケ二世は美しい髪でも有名だが、賢い妃でもあったらしい。
何も言うことはない。
幸せな三代め、それがプトレマイオス三世だ。

プトレマイオス三世のたったひとつの禍根は息子がアホだったことだ。
息子のプトレマイオス四世は大酒飲みの放蕩もので
狡賢い家来の言うことばかりきいた。本当に困った奴だった。


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2011年03月13日

プトレマイオスの二代めときたら

p2.jpg


さて、プトレマイオス朝のファラオ二代めは
プトレマイオス二世である(当然だが)
この人はプトレマイオス一世の次男だったが
長男がエジプトから追放されたために後継者になった。
(追放された長男はマケドニア国王になったがやがて滅亡)

プトレマイオス二世は賢い人だったらしく
領土を拡大したし中央集権国家を築いたし
交易ルートは確保したし、
学者や文人を招聘して文化面の功績も大きい。

しかし、もうひとつの功績もあって
血族結婚の先例もプトレマイオスがつくっているのだ。
エジプト人の王朝は確かに血族結婚が多かったが
ギリシャ人にその伝統はなかった。
ところがプトレマイオス二世は出戻りのお姉ちゃんと結婚してしまった。
もともとプトレマイオス二世にはアルシノエという妃がいたのだが
これを追い出してお姉ちゃんと結婚して
このお姉ちゃんの妃がアルシノエ二世という。

アルシノエ二世は賢い人だったらしく
プトレマイオス二世の共同統治者として貢献したと伝えられ
死語は神殿に祀られているのだが
プトレマイオス朝の血族結婚の歴史は
まさにここからスタートしてしまったのだった。



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2011年03月06日

そもプトレマイオスのはじまりは

800px-Map-alexander-empire.png
*上はアレキサンダー大王の版図

プトレマイオスはエジプトのファラオの名として知られている。
プトレマイオス王朝は紀元前306年から276年も続いたし
プトレマイオスと名前のついたファラオは十五世までいる。
ちなみにプトレマイオス十五世は
あのクレオパトラとシーザー(ユリウス・カエサル)の息子だ。

ところでそのプトレマイオスだが
プトレマイオスを語るとなると
やはりプトレマイオス一世からはじめなければならない。
プトレマイオス一世はファラオになる前は
かのアレキサンダー大王(マケドニア)の将軍だった。
アレキサンダー大王はマケドニアの王さまで
ギリシャに覇を唱えたかと思うと小アジア(いまのトルコのあたり)を攻め
シリアとフェニキアを蹴散らしてエジプトに侵入、
これを征服したかと思うと、ペルシャに侵攻し
勢いあまってインドまで攻め入っている。
東のチンギス・ハーン、西のアレキサンダー大王というくらい
その版図は広い。

マケドニアという国はもともとギリシャ人が住んでいたので
アレキサンダー大王もプトレマイオス将軍もギリシャ人だ。
そのアレキサンダー大王がエジプトを征服したときのファラオは
ペルシャ人だったが、どうやら過酷な統治をしていたらしい。
アレキサンダー大王は解放者として人気を博し
メリアメン・セテプエンラーというややこしい名前のファラオになった。

さて、アレキサンダー大王はインドから戻ったと思うや
高熱を発して亡くなってしまう。
その遺言は「最強のものが帝国の継承者」という
いかにも争いの種になりそうなもので、
残された将軍たちは会議を開いたり争ったりしながら
領土を切り取っていった。
そのとき、プトレマイオスが獲得したのがエジプトだったので
ここにプトレマイオス朝初代ファラオとしての
プトレマイオス一世が誕生する。紀元前305年のことだった。
プトレマイオス一世はマケドニアに移送中の
アレキサンダー大王の遺体を強奪し、ミイラにして
エジプトの首都アレキサンドリアに埋葬してしまったが、
そんなに大王が好きだったのか?
共に学んだ「学友」でもあったらしいのだが。

さて、プトレマイオス一世はエジプトの公用語をギリシャ語とし
ヘレニズム文化を導入した。
アレキサンドリアは大都市となり、
世界七不思議のひとつでもある大灯台の建設もはじまった。
なによりも人類史上最大の図書館ができた。

プトレマイオス一世はアレキサンダー大王の伝記も執筆しているが
アレキサンドリア図書館焼失の際に失われている。

プトレマイオスはざっと初代だけでもこれだけの説明がいる。
たいへん面倒なことだ。
なかなか三世までたどりつけないぞ。



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2011年03月05日

現在の中国馬

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狭い日本でも在来馬は8種いるというのだから
中国の馬はどれほどの種類がいるのか想像もつかないが
まず有名な4種を挙げると次のようになるらしい。

モンゴル馬(モンゴル地方)
 体高120〜135センチ、300kg前後
 ガッシリ、幅広、短足、寒さに強い

哈萨克馬(カザフ馬、ウイグル地方)
 武帝が名付けた西極馬がこの馬
 
河曲馬(青海地方)
 体高135~140センチ 350kg〜400kg
 細い顔、スマート、胸が広くたくましい、穏やかな性格で持久力あり

山丹馬(甘粛地方)
 もっぱら荷運びに従事していた品種で、体格ががっしりして背中が水平。
 毛が長く、高山の氷点下の寒さに適応する。

なお、汗血馬の原産地は現在のトルクメニスタンのアハル州で、
汗血馬はアハル・テケと呼ばれている。
いま世界でも3000頭余りしかおらず
そのうち2000頭がトルクメニスタンで飼育されている。
スピードと持久力を兼ね備えた黄金の馬である。
金属的な光沢を持つ毛並みは美しく、
馬術競技の飛越のフォームの優美さもよく知られている。
なお、性格は頑固であり扱いにくく、ひとりの人間にのみ懐くといわれている。
タグ:赤兎馬
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