2010年12月28日

ネットで読む童話 山本高史「リトル」

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ネットで読む童話なのだから、子供向けではなく大人向けだと思う。
しかし童話に間違いはない。
簡潔だしシンプルだし言葉もストレートだ。
一度読むと懲りるような現実もその世界にはない。
憎みたくなる登場人物もいない。

しかしそこで語られるものは、成長から死へ向かう放物線だったり
老いて病んで弱っていくことの役割だったりする。
そんなことがやさしい言葉で手短に語られている。

山本高史の童話「リトル」 
http://www.marunouchi.com/culture/little_10_01.html

タグ:山本高史
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2010年12月26日

森本一房くんの叔父さんとその子孫

Tsuyama_Castle_old_potograph.jpg


森本一房くんのお父さん、一久くんには弟がいた。
弟は津山藩の藩主森忠政(森蘭丸の弟)に呼ばれ、
錦屋という屋号で津山の御用商人になった。
札元であり、呉服商でもあったらしい。
札元というのは藩札を発行する私的造幣局のようなものだ。
津山藩は1697年に藩主が発狂し解体され、翌年に越前松平家から
宣富が入封になって明治までつづく。

一房くんの叔父サンからはじまった錦屋も明治を迎えた。
明治13年(1880年)には当主の森本藤吉が自宅内で銀行を開業した。
さらに明治15年には呉服屋のかたわらで時計屋をはじめた。
明治15年開業の森本時計店である。津山ではじめての時計店だった。
明治42年には呉服屋も時計屋もやめてしまった。
前年に森本藤吉は病にかかり後継の森本慶三(1975年生)が
家業を継ぐために東京から戻ってきていたが
この人は内村鑑三の弟子になり洗礼を受けキリスト教に入信しており
どうも興味が商売になかったのではないかと思う。
それでも明治45年(1912年)には父藤吉の仕事を継いで
津山銀行の頭取になっている。
同時に明治44年と45年には内村鑑三を津山に招いて
聖書講演会を開いている。布教活動である。
この頃から基督教図書館開設の望みを抱いていたらしい。
大正13年(1924年)には、津山銀行は山陽銀行と合併、
慶三は非常勤取締役に就任する。
この頃は週一で銀行のための祈祷会を行なっていたようだ。
またこの年に図書館も着工し、
大正15年(1926年)には内村鑑三を招いて開館式を行なった。

これ以降は伝道やら講演やら禁酒運動やらの宗教活動がさかんになる。
(その前もさかんだったが)
本業であるはずの銀行はというと
昭和5年(1930年)に中国銀行に合併となり
その取締役に就任している。

さて、戦争中のことだった。
津山基督教図書館は反戦施設として憲兵に押収された。
やがて戦争も終わり、昭和25年にその建物は
夜間専門の津山基督教図書館学園になって
慶三は校長兼宗教家の先生として教え始める。
この学校は昭和52年まで続いた。

さて、その津山基督教図書館であり、また学校でもあった建物は
いまどうなっているかというと
1998年には文化庁の有形登録文化財に指定され
いまは森本慶三記念館になっている。
記念館のなかには歴史民族館があり、森本家所蔵の調度品や
津山藩の殿さまからの拝領品、幕末から明治の洋学資料、
日本各地の絣・紬のコレクションなどが展示されている。
さらにいうと津山科学教育博物館をつくったのも森本慶三で、
いまは「つやま自然ふしぎ館」と名前を変えて
子供たちが科学を学ぶため役立っている。

つやま自然ふしぎ館:http://www.fushigikan.jp/


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2010年12月25日

子どもたちのクリスマス

世界の子供の人口は22億人で、
貧困下の子供が10億人以上いて、
たとえば手を洗う設備と衛生教育があれば予防できる病気で
5歳までに死ぬ子どもが1日に2万9,158人いる。

ポルノや売春、薬物の取引、武力紛争で強制的に武器を持たされる、
拷問はあっても休日はない奴隷状態での労働などなど
いわゆる「最悪の形態の児童労働」に携っている子供は
1億8000万人もいる。
人身売買の犠牲になっている子供は120万人、
18才未満の子ども兵士は30万人。
毎年100万人以上の子どもが性産業に送りこまれている。

メリークリスマス
サンタカメラのサンタクロースは
世界のすべての子どもたちにプレゼントを配る(と言っている)

サンタカメラ:http://www.noradsanta.org/ja/track3d.html

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2010年12月24日

サンタクロース 出発



サンタクロース出発
北極から太平洋へ、さらにロシア沿岸へ
それからベーリング海峡を越えてマーシャル諸島へ向かいます。

サンタカメラ:http://www.noradsanta.org/ja/video.html
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サンタクロース待機中

サンタの村では、いままさにサンタが橇に乗り込もうとしています。
いまというのは日本時間12月24日の18時です。

北米航空宇宙防衛司令部は世界中を飛びまわるサンタの姿をカメラでとらえ
その様子を3Dムービーで放映します。

下のムービーは去年のクリスマスのものですが
間もなくサンタがサンタ村を出発すると
下記のHPで動画が更新されていきます。

http://www.noradsanta.org/ja/index.html



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2010年12月12日

お兄ちゃんの一友くん

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森本一房くんのお兄ちゃんは、森本四郎兵衛一友という。
一友くんも勇猛で知られ、加藤家二十四将に名を連ねている(らしい)
(そんなもんがあったとしての話だが。加藤清正二十将は錦絵がありますね)

さて、1611年に清正が亡くなり、
その1年後にお父さんの一久くんも死んで
次男の一房くんは熊本を出ていってしまった。
一友くんは長男だし勝手なこともできず
それから20年ほどがんばっていたのだが、
やがて1632年に加藤家が改易になって潰れてしまう。
加藤家の家臣のなかには細川家に再就職した人も多い。
庄林一心の息子も細川家に行った。
細川家侍帳には、島原の乱のときに浪人だった一友くんが
細川家の家臣でありながら3万石の大名格だった松井佐渡の下で働き、
ここで手柄を立てたことによって直臣として細川家に就職したと
書いてあるらしい。
要するに松井さんから細川さんにトレードされたわけだ。
名門好きの細川家は各地から名門の家臣を集めてコレクションしていたので
加藤家三傑の嫡男ならば容易に就職できたのではなかろうか。
細川家の一友くんは食禄150石。子孫は無事に明治の世を迎えている。




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タグ:森本一房
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2010年12月05日

お父さんの一久くん

kumamotojyo.jpg



森本一房くんのお父さんは加藤清正の家来で加藤家十六将のひとりだった。
また加藤家三傑のひとりでもあった。
三傑とは、森本一久、飯田(覚兵衛)直影、庄林(隼人佐)一心の三人である。
一久は飯田直影とともに清正の竹馬の友で、中途入社の庄林一心とともに
3000石以上の家臣に名を連ねている。
一房くんのお兄ちゃんの一友くんと一房くんも
兄弟で清正に仕え、500石以上もらっていた。

加藤清正ははじめ豊臣秀吉に170石の小姓として仕え
関ヶ原の戦い前には19万5千石の大名だったが
最終的には54万石にまで成り上がる(52万石ともいう)
その清正の幼なじみで早くから家来になり
頭角をあらわしていた森本一久と飯田直影の棒給はというと
朝鮮出兵の手柄で飯田直影は3000石をもらったとある。
Wikiによると6500石でその後1万500石になっている。
当時の収入は殿さまの出世や自分の手柄で変化したが
この1万500石は清正亡き後のことだろうと思う。
清正の後継として11才で藩主となった忠広を支えたのが
飯田直影だったのだ。
さて、その飯田直影が6500石のころ、森本一久は5126石と思われる。
加藤家侍帳に森本義太夫という名前があって
これが一久くんのことだと思われるからだ。
庄林一心は同じ加藤家侍帳に1382石と記載されている。

一友&一房の兄弟はお父さんが高給取りだった上に
自分らも数百石を稼いでいる。なかなかだ。
けっこう贅沢もできた気がする。

さて、生まれ育った次男の一房くんの
波乱のような、そうでもないような人生は
これからはじまる。



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