2010年07月25日

馬なのか竜なのか

White_horse_from_air.jpg


「アフィントンの白馬」と呼ばれるヒルフギュアを見た人は
誰もが思う。これは本当に馬なのか?
地元では長い間聖ゲオルギウスが殺した竜だという伝説があった。
しかし、アフィントンの絵の成立はいまから3000年の昔にさかのぼり
聖ゲオルギウスの伝説は1000年に満たない。
もしかしたら、もともとこの土地には土着の竜の神話が伝わり
それがキリスト教と結びつくことによって「竜」という要の言葉だけが
わずかに残されたのかもしれない。
付近にはドラゴン・ヒルやドラゴン・ロードがある。
さらにこのあたりを通るRidge wayは
紀元前2000年ころからあったといわれる古い道で
ここを行き来する旅人のためのなんらかの目印ではないかという説もあるが
それにしてはビューポイントが限られ過ぎていないだろうか。

3000年の昔といえば鉄器時代のはじめである。
道は人や物資も運ぶが、また技術や神話や伝説も伝える。
「アフィントンの白馬」は
馬だったのか、竜だったのか、または何かの文様だったのか。
遠く離れた土地にでもいいから
アフィントンの丘の伝説が残っていないものだろうか。



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Tokyo Copywriters' Street 2010年6月放送
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2010年07月18日

白馬の描きかた

WhiteHorse.jpg


イギリス南部、アフィントンの丘には
全長110メートルほどの絵が描かれている。
白い線だけのデザイン化された絵で
いまは「馬」と言われているが昔は「竜」という言い伝えだった。
この絵はどんな方法で描かれたのだろう。

イギリスの、たとえばドーバー海峡の白い崖はチョークでできている。
チョークとは白亜のことであり、固まっていない石灰岩だ。
イギリス南部にはチョーク地帯があり
表面の草と土を掻き取ると、何十メートルも厚みのある白い地層がつづく。

この絵がある一帯もチョーク地帯なので
要するに描きたい形に草と土を剥ぎ取ればいいだけの話だ。
もちろん、剥ぎ取った草や土の捨て場も考えなければならないし、
捨て場がなかったり剥ぎ取った溝があまりに深くなるような場合は
もしかしたら、さらに深く掘って天地をひっくり返すような方法で
剥ぎ取った土と草を埋め、その上にチョークの層を戻すことに
なるかもしれない。
けれども、方法としては「表面の草と土を剥がす」だけなのだ。

アフィントンの白馬は3000年ほど昔に描かれたといわれる。
白馬を描く白い線が3000年も白いままにしておくために
地元の村では草を刈り表面に積った土を剥がし白馬の形を整えていた。
それは19世紀の後半までつづき、村の祭にもなっていたが
地元の管理がなくなってからは遺跡保護の団体が管理をしている。

3000年もの昔、全長110メートルの絵を描くのも
それを3000年の間維持することも、なかなかたいへんなことなのだ。



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2010年07月14日

万歩計に見る天山南路の距離

sabaku.jpg



シルクロード万歩計というものがある。
それによると西安(長安)からカシュガルまで4077kmだそうだ。
途中経過していく都市ごとに距離を書き出すと
西安
宝鶏 190km 
天水 354km 名水で名高かったシルクロードの中継都市
蘭州 720km 黄河が流れる都市 砂漠に近く緑は少ない
武威 1001km 「金の張掖・銀の武威」と讃えられた緑のオアシス都市
張掖 1238km 土と水が良質で作物が豊かに実った
酒泉 1464km モンゴル高原への分岐路
安西 1751km 強風で名高い都市
敦煌 1858km かつての西域への軍事拠点 西域への入り口
ハミ 2279km 天山南路と天山北路が分かれる十字路
トルファン 2700km 世界でもっとも海から遠い盆地の中央にあり
           夏の地表温度が80℃に達する 地下水路のオアシス都市
コルラ 3074km 桜蘭、クチャ、トルファンを結ぶ
クチャ 3354km 天山南路の要所にあり紀元前から王国が栄えていた
アクス 3613km タクラマカンのもっとも北に位置する
カシュガル 4077km タクラマカンに西端に位置し、古くから交通の要衝だった

さて、この距離についてだが
酒泉から敦煌まで歩いて旅をしたあるグループが
実際に歩いた距離は415kmだそうだ。
ちなみに徒歩グループは415kmを10日かけて歩いており、
歩いたのは幹線道路、三台の車両に医師、コックまでサポートにつくという
昔とは比較にならない豪華版シルクロードだが
それでも酒泉から敦煌まで10日で歩こうとすると
1日平均40km歩かねばならず、
水を節約し、泊まれるオアシスがないときはテントを張るなどして
かなり厳しい様子がうかがえる。

これが道路ではない砂漠を歩くとすると
砂漠といえども起伏はあり、障害物もあるのだから
実際の距離ははるかに長くなると思われる。



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Tokyo Copywriters' Street 10年5月放送

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2010年07月08日

さらに古いシルクロード

china19_1024.jpg

もっとも古いシルクロードは西南シルクロードだ。
それは狭義でいうシルクロード「オアシスの道」より1000年も古く
少なくとも3000年前にはすでに存在していたとみられている。

これも大雑把なルートを説明すると
四川から雲南を経てミャンマーを通りインド東北部へ、
そこから川沿いにインドの西北に進みイラン高原にたどり着くのが
主要なコースだ。
<長安=成都(四川省)=大理(雲南省)=ミャンマー=インド>

この道の途中、インドを東から西へ渡る途中で道を北にとると
ネパール、チベットへ行く。
三蔵法師もこの西南シルクロード利用してインドからアフガニスタンへ抜け
オアシスの道へ戻ったようだ。

西南シルクロードは「稲の道」とされているが
それと同時に、鉄を運んだ草原の道より
さらに古い「鉄の道」だったともいわれる。
日本のたたら製鉄の技術はこの道を通じて伝わってきたらしい。

道は人がつくり、人と物資が往来する。
1986年に発掘された四川省の三星堆遺跡からは
3000年前の東西文化交流の証ともいうべき文物が出土したそうだし
さらに4700個の宝貝も発見された。
宝貝はインド洋あたりのものらしい。




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